騒音問題についてのとらえかた。1
1000文字では足りないので要点だけ書くつもりなので
よろしくおねがいします。私の個人的な流れについてはプロフの「歩み」をご覧下さい。
「歩み」の通りの人生を送っていますが、
ここで犬の騒音トラブルに巻き込まれてしましました。
きっかけはその犬が敵対している人の引っ越しです。
詳しい段取りは省きますが、半年喰らい続け、そろそろ限界で
自分が病気になるならいいですが、社会に迷惑をかけそうな
(暴力行為)自分が怖いです。
大型犬で、声が大きすぎるため、家の位置関係で突然吠えられると
ドキッとする音量です。なので家にいても常に気をはっていないと
いけないため苦痛です。全ての行政に協力してもらい、
家主と話し合い、犬を移動させる段階までいきましたが、
今度は犬が体調を壊す始末でもうどうにもなりません。
現段階で最高とされる愛用の耳栓もつんざく音量でもう
防ぎようがなくどうにもこうにもいかなくなりました。
父親が理解のある人間でそこだけが救いです。
色々と相談や協力もしてくださり大変ありがたいです。
行政への連絡やこちらも努力をし、相手がなぜその犬が
良かったのか、その人間や私の周りの人間とのかかわり合い、
ようは昔話、情に訴えかけられ、私もそれは十分考慮しています。
だが、それを加味しても脳がどうしようもない段階にきてしまいしました。
イライラしたら逆にショック療法で犬なり自分がイヤだと思う音を大音量で聞いていますがそれも人工にすぎなくなりました。
実は、この甘え腐った環境がいけないのもある(自分の中では3割位)
と思い、車中ですが断食まがいと、最低限の飲み水と
洗面用具だけ持って公園なりで過ごし、今日の朝帰ってきました。
やはりどこにでも犬はいるものでそこら中で吠えてます。
気にはなりますが、この家にいる時よりは全然気になりません。
なぜか、そこからはいつでも逃げられるからですよね。
家だと引っ越しレベルになるんで逃げられません。(一軒家です。)
そう考えると未来が無いですし、社会的に見たら?な生活でも、
この家族はそれでいいわけで、楽しかっただけに、高低差があり
関係が壊れてしまうのではないかと不安で仕方ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心配の種は、自分で作り、自分で消すことが出来る。
ご質問ありがとうございます。拝読いたしました。
辛い状況であるということ、ご察しします。
犬の騒音ですね。困っている人も多いでしょう。
犬の鳴き声が嫌で嫌で嫌で嫌で仕方ない。
ただ、同じ状況で貴方ほど困っている人がどれだけいるでしょうか。
世界には、沢山の犬がいて、鳴き声で嫌がっている人は無数といるでしょう。
はたまた、世界には、赤ちゃんの鳴き声を嫌がって、ノイローゼのように感じている人もいるでしょう。
そんな中、貴方は、未来をなくすまでの絶望感に包まれています。
車の中で断食したり、好きな音楽を聞いたり、することも解決策かもしれません。
ただ、本当の問題は、自分が作っていることに気づいてみてください。
トラブルに巻き込まれているのは確かかもしれませんが
そのトラブルを最大化してしまっているのも、貴方自身なのです。
嫌だ、嫌だ、
嫌いだ、嫌いだ、
うるさい、うるさい、
未来は暗い、世界は絶望だ。
そう思い続けると、そうとしか思えなくなります。
その感情は、皆が持ち合わせているものではなく
貴方がどんどん強くしてしまっているのです。
それを仏教では、執着と言っております。
この執着に取りつかれている限りは
騒音問題は解決しないでしょうし、未来も真っ暗でしょう。
この執着から離れた瞬間に
問題と未来が少しずつ見えてくるでしょう。
世界は、未来は、変わらずに
ただただ世界は流れ、未来はやってきます。
自分で色眼鏡をかけてしまっていることを、まず自覚するところからはじめましょう。
自分で作った大問題は、自分で消しましょう。
そうすると、大した問題じゃないことがわかるかもしれません。