虚無感に苛まれています。
私は今年大学4年生になる者です。現在は就職活動をしています。
このサイトは昔死にたくなってしまった際に、参照し知りました。その際は他人の質問への回答でしたが、救われました。
今回人生の岐路に立たされており、アドバイスを頂きたく思い質問させて頂きました。
私は、幸せになりたいという欲求を実現するために現在邁進しております。ですが時折虚無感に襲われてしまいます。この虚無感の正体は自分でもどんなものなのかよく分かりません。その為、どうすればこの虚無感に苛まれず前を向いて歩いて行けるのか、というのが相談内容です。
私は小学生の頃に特別な人間ではないという当たり前の事実を受容出来ずに挫けました。そこからは中学に上がっても尚更出来ないことが増えるばかり、ただ学校に行きたくないなと思い怯えて過ごして来ました。学校には通っていましたがほとんど引きこもりと変わりませんでした。高校でも自分が特別な人間出ないことを受容出来ていなかったと思います。大学に上がりそこであるきっかけがあり、自分が特別な人間ではない当たり前をやっと受け入れることが出来ました。少しですが、進めているのだろうと自覚もあります。
当時は本当に見た目に気を使うこともせず、他人を気遣うこともできずにおりました。しかし今は自分磨きのためにアルバイトを初め、筋トレを続けています。アルバイトは大学1年から現在4年まで筋トレも続けています。そして現在の就職活動に至ります。就活では他人と明確に比べられるため時折本当に怖い中必死で続けています。そんな際に虚無感に苛まれることがあり折れそうになってしまいます。
誰かに吐き出した事は1度もない思いですので乱文と化してしまっているかも知れませんが、アドバイス頂ければ非常に嬉しく思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『特別な人間ではない』…の意味
和樹さんはじめまして。
辛い胸の内をご相談くださいまして、ありがとうございます。
和樹さんのおっしゃる特別な人間ではない…の意味が、もしかして他人から注目されるに値しない低いものという認識であったのなら、それは誤解だと思いますよ。
誰もが、この世に存在するために、自分は自分にとってはかけがえのない唯一無二の特別な自分であるからです。
人との比較など、とても出来ない大事な特別な存在です。
また、もう一つの可能性
和樹さんがおっしゃる『時別な人間ではない』の意味が、全ての人間の存在は、どんな人も特別な存在では無いという意味であれば、
確かにおっしゃる通りで、あらゆる存在は全て特別な何かではありません。
でも、そのことに本当に気づくとき虚無感はありません。
むしろ最高の至福感に満たされると言われています。
もし、こちらの意味でおっしゃったのであれば、まだ本当の意味での『特別な人間ではない』にはたどり着いてはいないと思いますよ。
もしかしたら、あと少しなのかも知れませんが…。
まず、貴方が貴方個人として存在出来ている奇跡を感じてみてはいかがでしょうか?
この世に存在して、風のそよぎを頬に感じ、太陽の光の温もりを感じ、息をしている…。
この軌跡的な縁の働きを感じてみてください。
貴方は自分の人生のコントローラを握っていないと感じているのかもしれませんね。
でもね、そのコントローラを握っているものに貴方の心や意識はたどり着くことも出来るのだとは思いませんか?
どうか、この世界で唯一無二のご自分をだいじになさってくださいね。
合掌
質問者からのお礼
早速の回答ありがとうございます。おっしゃる通り私の特別な人間ではないという事は後者です。
挫折するまでは勉強も運動も他者よりは出来ていた方だと思います。自分が秀でた人間出ないことを受け入れた時に私が感じたのは幸福感ではなく、こんな当たり前を気づけない自分を卑下する思いでした。きっとおっしゃる通り本当の意味ではまだ受け入れきれてないのかもしれません。
ですが貴方様の回答を見てまた頑張ろう、と思う事が出来ました、ありがとうございます。これからも少しづつ他人よりは遅いかも知れませんが前に進んで自身の幸せを掴み取りたいと思います。改めまして、ありがとうございました。