苦しくてどうしようもないです…
半年程前
仲のいい大事な友人が二人いました
ある時、遊園地に行きたいねといわれ
3人で行けるよう予定を組んでいました
二人は手取りが少ない方だったので
「どうにか経済的に負担になりすぎないように」とチケット代や交通費を含めて安くなる方法や時期を内緒で喜ばせたくて調べていました
そしたら、私の知らないところで
実はふたりで行ったことを秘密にされていました
それ以降大事な人に
そんなことをされたことが悲しくて悲しくて今でもどんな言葉で謝られても許せなくなり
同棲している彼氏にも家事の事で何度も注意と喧嘩を繰り返していた事もあり
大事な人の言葉も信じれなくなりました
傷つけられたぶん
殴ったり、蹴ったり、暴言はいたり
しないと気がすまなくなりました
幼少期からの虐待や悲惨な毎日を繰り返し過ごしてきていたことを彼氏にも友達もはなしていたけど
大事にしてもらえなかったことに…絶望するばかり…
今では心療内科にもかよっていますが
過去でも未来でも大事にされてこなかった
少しでも大事にされていたなら楽になれるだろうけども…
どうしょうもない、手遅れだとも言われました…
自分が望んで暴力や暴言を吐き散らかし荒れた心になったわけでも…
好き好んで薬を飲んでるわけでも…
フラッシュバックや過去のことそして
現在のことでも苦しくて生きづらくなったことも…
全部違うのに…
どうして私ばかり…と思う毎日で
希望も見いだせません…
【信じたところで傷つくのは自分】
【言ってることとやってる事が違う】
【大事だと言うのならなぜはじめから大事にしてくれないのか】
ずっと頭でぐるぐるして
いろんな人にきいても黙ったままでした…
どうかお助けくださいませ……
長文失礼しました
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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手遅れはありません
つばき 様 相談ありがとうございます。
大変辛い半生を過ごしてこられましたね。
辛いし、人を信じられなくなるし、怒りや切なさ悲しさが同居したような状態でしょうね。
幼少期から虐待を受けると、人を信じられなくなったり、脅威の存在と、自然と意識してしまいます。まさにあなたの言う通り、「あなたのせいではありません」つばきさんが悪いのではないのです。
ただ、自分のせいじゃないのに抱えてしまった対人関係の難しさは、愛着障害としてあなたに残ってしまったようですね。この障害は、まず安心安全の環境で、心の癒しを得ることから、解消されていきます。落ち着く場所へいき、充分に癒さることが必要なのです。そして安心安全感の中で、だんだんと人の優しさや温かさに触れていくことが必要になってきます。愛する人に無条件に優しさで包まれているような感覚です。「あなたがそのままそこにいていいんだよ」という自分の存在感も感じることができます。
そうすることで、対人関係の不安定さから解放されて、他人と優しさや思いやりを主とした、絆とでも呼ぶようなお付き合いができるようになります。
キーワードは、愛着障害とコンパッションになります。
コンパッションは仏教でいう「慈悲」「慈しみ」のことです。
ですので、愛着障害は、安心安全を感じることで自分を癒し、そして、コンパッション「慈しみ」(つまり優しさや思いやり)は慈しみを養うような瞑想やセラピーを受けて、自分に優しや思いやりを向けて充分に浸って、心の鎮静を得ていくことが、苦しさからの解放ということになっていきます。この過程は、いつでもできます、手遅れはないのです。
あなたの人生はあなたが主人公です。自分で慈しみや思いやり優しさを感じる方向へ行っていいのです。心に留めて参考にしてください。一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。
安心や安全を感じるのが難しい時は、どうぞご連絡ください。簡単な呼吸法や温かさを感じられるような瞑想など、お知らせすることができますので。ゆっくりリラックスして気持ちを調えていきましょう。再礼
質問者からのお礼
釋 様 お話を聞いてくださり
ありがとうございました
こんなにも丁寧にお返事がもらえるなんて
涙が出るほど嬉しいです
労ってくださったり、私の気持ちを真っ直ぐに受け止めてもらえて
荒れ果てた心に素直に響きました
思い返せばいままで
安心安全な場所や心の癒やしなど
考えたことも感じたこともありませんでした
これから少しずつですが
探していきたいと
慈しむ心を見つけれるように
過ごしていきたいと思います
自分が望んだ結果ではないのに
治す手立ても解決方法も見つけれず
途方に暮れていましたが…
「手遅れではありません」
その言葉で心底救われました
こんな私でも希望が見え
見捨てられてないと感じることができました
本当に、本当に
ありがとうございました