人道に外れたことをしたかもしれない恐怖心
もしかしたら人道に外れたことをしたかもしれないという思いに駆られて24時間何をしていても不安で不安で息が浅く肩が緊張してる状態です。
あれは私の責任だったのか?
確認すれば済むことなのですが、それすらとてもとても怖く、消えてしまいたい!タイムマシーンがあったなら過去に戻って絶対にその行為をしないのに!という気持ちにばかりが無限に押し寄せます。
家族には相談しました。みんな「考えすぎだよ」と口を揃えて言います。私は「身内だからそう言ってるだけだよね?」と心の中で家族の言葉を反対に受け止め、やっぱり私が悪いんだ!と強く思い苦しくて身動きが取れなくなります。この状態は最低でも一ヶ月間は続くと考えています。その間に、もし私が本当に悪の根源だったとしたら、連絡が来て連れて行かれるでしょう。そうなったらそうなったで、やっぱり自分のせいだったんだと深く反省しますが、連れて行かれるかもしれないと思いながら生活するのは、とてもじゃないですが、身が持つ自信がありません。
悪い結末を一晩中考えて、毎日、地に脚が着かない状態です。だから、次々と負の連鎖が起こり、注意力散漫になり、家族や仕事仲間に迷惑をかけ、ミスの連発で、さらに自分を消し去りたくなります。
漠然とした書き方しか今の私にはできませんが、ただただ、心の置所を見つけたい。波打ってる気持ちを、できるだけなんとか静めたい。現状では凪にはなれないことは承知してます。しかし、こんなに情緒不安定では、まわりにどんどん迷惑をかけてしまいます。自分のせいで他人を傷つけたかもしれないという不安心を少しでも落ち着かせて生活できる心構えやアドバイスがほしいです。
支離滅裂な文章で伝わらないかもしれませんが、なんとかくみ取っていただければと思います。厚かましい内容で本当に申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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償う覚悟
罪を背負って生きるのはしんどい。
これはたしかにそうです。
辛い時間を過ごされていることをお察しします。
しかし、少し疑問があります。
あなたはなぜ不安なのか。
ということです。
それは「誰かに糾弾されないか」ということを心配しているのでは、と推察します。
人道という言葉を使うなら、被害の大きさは関係がないはずです。
相手が心を痛めなければ何を言ってもいいのでしょうか。
相手が怪我をしないのであれば暴力は許されるのでしょうか。
きっとそうではないでしょう。
それは人道ではなく、法律です。
人道とは悪行ではなく、悪意を正す心なのです。
あなたは、
「自分の行為で相手は傷ついたかもしれないし傷つかなかったかもしれない」
と考えて、
「傷つかなかったなら罪ではない」
という可能性に甘えている、ということはないでしょうか。
法律的な責任は行動で償うものです。
しかし、罪悪感を拭うためには罪を自分の心に問うべきです。
人道とはあなたの仏心に宿るものなのです。
それに反するのなら、被害がなくても償う覚悟を決めてください。
"最悪を生きる"という覚悟を決めれば不安はありません。
償う覚悟を決めてみてください。