誰かのために絵描く、でも誰かって一体誰?
こんにちは。私は絵を描いている者です。
私の悩みは最近、いや、本音を言うと一年ぐらい前からネタがない、というか何も描くものがない状態が続いています。
1年間何も描いていないのか?と言われると、そう言うわけではなく、なんとか捻り出して通常時の頻度としては1週間から1ヶ月くらいに一回ネットに投稿するって感じです。絵を描くのに必要な時間は2〜5時間。結構筆が早いです。
これを聞いてわかると思うのですが、私は絵を描いてその次までのほとんどを絵のアイデアの発想の段階に費やしているわけです。
これを抜け出したいと思ってネットを漁ってみたのですが、どうやら「どんな人のために絵を描くか?」「感じた刺激をまとめよ」と言うのが助言にありました。
今回は一つ目の方に焦点を当てます。
それを聞いて、確かに私はネットで知り合った人に対して「自分の推しを紹介したい!」って思ったり、ネットで恋で勇気が出ずにいる人に対して「応援する絵を描こう!」って思ったりした時に、ものの数分でアイデアが湧き出てきたことがあるのを思い出して、なるほどと感じました。
しかし、それには少し問題みたいなものがあります。
それはSNSで活動しようとすることで「誰か」が曖昧になることです。
私が覚醒したのはある特定の現実の個人に対して何かを思った時だけです。
しかし、今の私はSNSに絵を投稿したいわけです。
となれば、対象は不特定多数となります。もちろん、ターゲットをある程度絞ったりもできますが、それでもやはり個人に絞り込むことはできません。
ですので、絵を描くべき「誰か」が曖昧になるのです。
それによって、「誰のために何を描いたらいいんだろう?」となって、考えがはっきりしないようになります。
まるで深い森の中に置きざりにされたような気分になります。要は方角が分からなくなるわけです。
おそらくこれが今の私を引き留めているアンカーなのだと思います。
これさえなんとかなれば、もう腹から捻り出す思いでアイデアを出さなくて良くなります。
長文になっていて読みにくいとは思いますが、どうかお知恵をお貸しください。
勉強頑張ります
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
具体的に誰かを思い浮かべるのも良し
僧侶が法話をする際に、大勢の聴衆がいたとしても、その中の誰か一人に向かって語りかけているように話した方が良いようです。
それを応用して考えるなら、具体的な誰かを思い浮かべてその人のための絵を描く方が面白いかもしれません。
例えばそれは、フィクションの物語の登場人物宛てでも良いでしょうし、ニュースで見聞きした海外の見ず知らずの一人宛てでも良いでしょう。
また、過去の人(歴史上や思い出)や未来の人(まだ生まれていない人や、未来の自分とか)、人間以外の生き物や、生きていない品物相手でも良いと思います。
なんなら、SNSでお題を募集しても良いと思います。
また、誰かの作品への返事みたいなものでも良いでしょう。
制約がある方が具体的なアイデアが出やすいかもしれませんね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
私は個人という単語のに囚われていた気がします。
未来や過去の人物に向けてだったりも意外でしたし、
特に、誰かの作品への返しというのは面白いですね!
とりあえず、いろいろやってみます!