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怒れない親

回答数回答 1
有り難し有り難し 15

私は10年くらい前に 家族を捨てて家出をしたんですが 偶然に町で次女(26歳)に会い一緒に暮らすようになったんですが 娘は高校生のころから拒食症を繰り返し 現在も食べては吐きをして 何度もリストカットをしています(でも いつも死ぬまでのカットはできないんです) 心療内科にも通っているんですが良くなりません 最近娘の部屋で 便せんに 誰も信じられない 何のために生きているのか? もう頑張れない 笑いたくない 生きたくない  だれか助けて 助けてって 書いてありました (そのことに触れれば きっと怒りだすんです)  私は親なのに何も言うことができません いつも大きな壁から逃げて生きてきました どうしても向き合えないんです    私は娘とどう向き合えばいいんでしょうか? 教えてください


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

真が通じるとは

腫れ物に触れるような扱いをせず、ぶつかることを恐れなければあなたの真は必ず通じます。
考えても思うようにはならない、それが人間を相手にするということです。
先の展開を考えず、あなたを救いたい、でもお母さんどうしたらわからない。。。と心の中を正直に話てごらんなさい。
ご自身の心に素直に従うと体が勝手に動きます。それが嘘偽りのない言動となって娘さんの心を溶かすこととなりましょう。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがとうございました 自分の心ともう一度向き合ってみます

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