神仏はどのように守ってくださいますか
25歳の息子は13歳のころに統合失調症を発症し、もう12年以上、世間の同じ年の若者のような生活を送ることが出来ていません。学校にも外にも、学校行事も参加出来ず全てが辛く苦しい毎日でした。現在もなお一時も穏やかで平穏な日々を送ることが出来ていません。
6年ほど前から日蓮宗のお寺でお世話になっております。厄神さんがついていて、また住職様から神様を入れておきましたと言っていただきました。が、なかなか病状は良くならず、お経も毎日必死で詠んでおりますが、息子は「こんなに良くならないのは神仏に見捨てられているからだ、お母さんが死んだら死ぬと決めている」と言います。不安が強く外の活動はほとんど無理で、被害妄想や関係妄想など病気の症状も強いです。毎週診察にも行き早く治りたい一心でおります。神仏とはどのように守ってくださるのでしょうか。
息子に答えることも出来ず親子でもがいている状態です。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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悩み苦しみの原因を減らす導き
仏教は、お釈迦様が発見された、悩み苦しみを減らすテクニックです。
神仏の救いを信じるだけで気分が楽になる場合もありますが、せっかく仏教が存在する国に生まれたなので、仏教のテクニックを学び活用してみてはどうでしょうか。
息子さんには、妄想等の症状があるのですね。
まず、怒り・憎しみ・嫉妬・不平不満などが悩み苦しみ・ストレスの原因になることを、息子さんに理解してもらいましょう。
仮に妄想が起きても、妄想の内容に対して怒りの煩悩が起きなければ、ストレスは起きません。
例えば、他人から悪口を言われたという妄想が起きたとして、「悪口は自分が受け取らなければ相手の罪。」と気にしないなら、息子さんはストレスを受けません。
また、一つの妄想について頭の中で何度も繰り返し反芻し、怒りを長時間持続させると、日常生活における苦しみの時間も長くなります。
同じ情報の中で10分考えても答えが出ないことは、10時間考えても同じ。ただ思考の堂々巡りに心と体が疲れるだけです。
そんなときは、考えるのを止めるか、新しい情報を得るために動いてみることをお勧めします。
妄想が起きても妄想の内容を受け流し、気にしないこと。
鼻唄でも歌いながらリラックスして日常生活の作業をすること。
思考の堂々巡りは疲れるだけだと素早く気付くこと。
これを徹底しましょう。
新興宗教や霊感商法にハマる人の中には、障害や病気に悩んでいる人がけっこういます。
仏教は、どちらかといえば、障害や病気も自然現象だと思って悩まないようにする教えです。
仏教では、神仏に供養(おもてなし)をします。
神様に助けを求めるどころか、反対に、人間の側が神様にサービスしてあげ、それ(おもてなしできる幸せ)を喜ぶのです。
自宅に有名人が来てくれたら嬉しいでしょう?そんな気持ちで供養を楽しむのです。
求める側(サービス料金を払って神仏に見返りを期待する)ではなく、施す側(見返りを求めないおもてなし)の喜びが、明るい気分にしてくれます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。息子は2月頃からますます体調が悪くなり、3月4月は緊急入院も視野に入れなくてはならない状態でした。ここ1か月薬の調整が上手くいくようになりゆっくりですが改善がみられるようになりました。些細なことにも感謝しながらお導きを信じて、わずかな回復も喜んで過ごしたいと思います。
少し心が軽くなりました。ありがとうございました。