希死念慮がある鬱病の妻を助けたい
約一年前に妻の母親が統合失調症を発症し警察沙汰になって閉鎖病棟へ入院してから(今は退院済み)、それをきっかけに妻が重度の不眠症になり町の精神科で鬱病と診断されました。
処方される薬を服用しても全く改善せず、医者に不信感を抱き担当医へ今後の治療方針と妻への接し方を聞いたのですが、他人事で見守るしかないの一点張りでした。
妻は小学生の頃、父親が脳梗塞で倒れ、数年前まで植物状態でした(今は天国へ召されました)。また、ホルモンバランスによる重度の痤瘡(ニキビ)体質で、肌の悩みで苦しんできました(今も継続中)。
その妻が先日自殺未遂をし警察に保護されました(私と出逢う前にリストカットをしたことがあります)。きっかけは一般的な夫婦喧嘩でした。だからこそ私はとてもショックで悲しく、今まで(妻が言わないでほしいというので)私以外の誰にも妻の状態を言わなかったのですが妻の姉に電話して今の状態を伝えて泣いてしまいました。
私は妻を支えられなかったことが何より情けなく、心が弱っている妻と喧嘩をしてしまった自分の小ささに嫌悪しました。
妻からすると私が過干渉とのことです。私は自分の接し方が誤っているのか今でもわからず自問自答しています。
今もいつ壊れてもおかしくない夫婦状態です。妻から避けられたり暴言を吐かれたりするときもあり、私自身何故自分がこんな目に合わなければいけないのかと思うときがあります。人のいないところで妻に対する暴言を吐いたりします。そんな自分も情けないです。
昔は、「頑張れば、努力すれば必ず神様が見てくれている」「今つらくても必ず後で笑える日が来る」と思っていましたが、今は、神様もいなく、努力が報われるとも思わなくなってしまいました。
妻と別れればこの悩みから解放されると思う自分もいたり、でも別れたら妻は自らこの世を去る可能性があるので別れられないという自分もいたり、自分を一番愛してくれるのは妻だけだから最期まで一緒に楽しく暮らしたいという自分もいます。
この先の見えない道に照らす光はあるのでしょうか。
長文失礼致しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰かに話せるような時間も、心バランスに繋がっていけばいいなと
お辛いですよね。一番そばにいて、わかってあげられる存在が、自分なのだと考えてしまいますよね。ただ、その考えは、とても大変なことでもあるのです。家族だから、大きく影響を受けてしまうためです。お母さまのことがあって、妻さんが不安定になられたのも、その影響を大きく受けたからでしょう。何もしてあげられない自分を責めてしまわれたのかもしれませんね。
過干渉…
妻さんには、干渉されているように感じるのですね。医師が言う見守るということも大切なことで、信じて任せるというのも、日常には大切な環境つくりになりますよ。
鬱の場合は、頑張りようがないのです。ずっと頑張ってこられたのですからね。周りの気遣いもプレッシャーになり、余計に逃げ場がなくなったりね。出来るだけリラックスしたストレスのない空間で、妻さんのペースで好きに過ごしてもらうのが、必要なのかなと思います。
医師は、あれからどうかと経過を尋ねますから、家族は同じように問うことなく、それぞれに過ごされるのが、自然に戻っていきやすいと思いますよ。
家族内だけで解決しようとせずに、こうやって誰かに話をしながら、家庭内では出来るだけ通常生活を送れたらいいですよね。
妻さんにも、そうやって、外に話せる人を作ったり、気持ちが外に向くようなキッカケが持てたらいいのですけれどね。
オンライン相談でも構いませんし、定期的に、誰かに話せるような時間も、心バランスに繋がっていけばいいなと思うのですよ。