他人とは…
確かに…どんなに愛しても所詮他人。ふとしたひと言でいっきに冷めてしまう事は有だと思う。私の物差しで相手を測ってはダメだと頭では理解したふりしていても結果 同じ様な答えを期待している自分が居て 同じ様な答えを欲しがる自分が居る…
これ迄の人生 全て見た目で女を選んで生きて来たパートナーに いつも言われる「女は見た目やスタイルじゃ無いって実感した」…と本人は すこぶる褒め言葉として発言しているであろうこのフレーズが この2年間 どれだけ私を傷付け苦しめているのか知る余地も無い事でしょう…
細くてモデル体型の 誰もが羨むモデル級の美女相手に やりっぱな人生を謳歌して来た彼。
私は人の嫌がる事を言ったりしたりする人間がこの世で1番最低だと思います。
確かに私は誰もが羨む様な容姿端麗では決してありませんが 彼を愛する気持ちだけは 誰もが羨むレベルだと自負してます。
でも さすがに ココ最近は 歳も取って来て ここ迄 蔑まれなければならないのかなσ(∵`)?と自分自身が可哀想に思えてなりません。
本人にその自覚が無いのが とても残念で苦しいです。
私が彼より9つ歳上と言う点でも 私は何ら気にしてないのに 周りから 何故に若い娘じゃ無く あえて そこ行ったσ(∵`)?と言われると嘆いていますが それなら 今からでも若くて美人でスタイル良いモデル級の女性を娶ればいいじゃないかと毎回 愚痴られる度に思います。
私は今迄 自分自身は大好きだけど結果 大事にはして来なかった気がします。
残りの人生 やはり心底私の事を全てに於いて愛してくれる人と添い遂げたいと思う子今日この頃です。
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話合いは大切ですね
愛されることや好きの感情というのは、いつも主人公が「私」であることに目を向けてみましょう。
相手に期待する時も自分が中心となっている。大切なことはそのこころをまんぞくさせることではないのです。渇愛という喉の渇きを絶え間なく潤し続ける欲望に振り回されているだけなんです。
主人公を、私から「本来の自己」にすることが大切です。ここは少し学びが必要になりますが、本来の自己とは、気持ちや考え方の方に焦点を当てるのではなく、体の機能の方に焦点を当ててみるのです。目は好き嫌いを言いません。善悪も言わない。物事に触れたらそのようにあるがままを受けいれています。そして感情が動いてもお手つきしなければ、その時だけで終わります。
夫婦、パートナーとの関係で一番大切なことは、好きとか愛とかではなく、相手を信頼し、尊敬し合える関係であること。お互いにそう思えるそして慈しみの心で接することができることです。
思っているだけでは気持ちは伝わりません。特に男は察するのが苦手な生き物だと思います。たくさん本音で話合い、2人で関係を深めていくことを目標にしていけたら良いですね。趣味や価値観が違っても、仲良くしていきたいという思いが一致していたらそこに向けて近づく努力はお互いに必要ですよね。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってすみません。
貴重なご意見ありがとうございました。