普通に生きることが出来ない人生
私は男としてこの世に命を授かりましたが、性別適合手術を受け、女性として生きています。
ここまで辿り着くのは、並大抵のことでありませんでした。
高校時代は、それを原因にイジメに逢い、就活では白い目で見られ、それが原因で内定取り消しされたこともあります。
そのような中、私の事を受け入れてくれる会社と巡り会い、手術をするお金を貯められた矢先、コロナで海外渡航が困難になりました。
それでも、日泰両国で隔離を受けてながらも、性別適合手術を受けました。
今は法律上は完全に女性となり、身体も見た目は女性に近いものとなりました。
昨年11月、私は学生時代から心の奥底に抱えていた、海外で働いたいという気持ちを拭いきれず、タイの会社に転職しました。
今の私でやっていけるのか不安になるくらいやりがいを感じる日々です。
しかし、タイの会社には、私が元男とであるということを伝えていません。
今の会社の人達は、タイ人の配偶者とお子さんと生活されている方が多く、私にもそれを勧めてきます。
しかし、私はあくまでも身体は男のまま。決して妊娠することはできません。
私はこの生き方をする際に、そのことを諦める覚悟を持って歩んできたつもりでした。
しかし、やはり羨ましい。
女性としてそつなくこなせる日々が日常になったからこそ、自身の血が繋がる子供を妊娠したい、家庭を持ちたいとも思えたのでしょう。
そして、どうして私はこんな目に遭っているのか、なぜ多くの人が手に入れられるものを手に入れるのに壮絶な想いをする、手に入れられないのか。
生きていることが悲しくなってきました。
私は必死にもがいて、やっと世間一般の普通に届くか否か。
それでも手に入らないものは多い…
私が一体何をしたのか、どうしてこんな運命を歩んでいるのか、凄く悲しいです。
私には、できないこと、恵まれないものが多いと感じてしまいます。
普通でいい、普通だという枠組みに入りたかった。
自身の運命を嘆いてばかりではいけないと思いつつ、吐き出したい気持ちになってしまいました。
アドバイス、叱咤激励いただけると嬉しいです。
私は男としてこの世に命を授かりましたが、自身が女性であることを確信し、性別適合手術によって女性として生きています。
自己肯定感が低く、他人の成功、持っているものに嫉妬し、落ち込んでしまいます。 自分には無いものばかりだと、そのように落ち込んでしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの自分を大切にする生き方を、応援したいわ。
遠いタイから、こうして繋がっていることを嬉しく思っています。
あなたの生き方、そこにはいつでも自分を大切にする想いがあったのでしょうね。
自分を大切に生きてこられた選択が、偏見や差別を受けなければならなかった現実に、どれほど悔しく情けない気持ちになられたことか。それを一つ一つ越えながら今がある生き方を、私は大きく頷きながら応援したいわ。
「普通」って、誰もが悩むことのない、当たり前に手にしているもの だと思うの。
ただ、このハスノハで多くの相談を受けてきましたが、その普通に悩まされ、当たり前だと思うことも、手にすることがどれほど困難なことか、多くの人が悩んでいるものです。普通って、あるようで、無いのかもしれないね。
こんなに遠回りせずに、女性として生まれたかったのですよね。だから、いつもそこが引っかかるのですよね。あなたは、一つ一つ手にしなければならなかったから。
よく頑張ってこられましたね。こんな想いで女性を大事に生きている方がいるでしょうか。あなたに勇気をもらう人も、きっとたくさんいるわね。あなただから、見てきた世界、得てきたものもあるわね。それは、強さにもなると思うわ。
でも、普通に恋をして、結婚して、子どもが出来て。そう望んでしまうのよね。女性としとの喜びをね。こうやって考えると、悲しくなってしまうものね。
あなたの辛さを、わかってあげたいわ。
同じ経験をしていなくても、あなたの気持ちをわかってあげたい。
わかったような励ましは、出来ないけれど、こうして繋がっていたいわ。あなたが、これから出会う喜びや辛さも、せめて一人きりではなく一緒に。こうして、同じ女性として、そう想っています。
そして、偏見や差別のない社会になるよう、私も努めていきたい。
質問者からのお礼
温かいお言葉をありがとうございます。
読んでて涙が止まりませんでした‥
個性が大事、普通はダメだという言葉を散々聞いてきましたが、皆が思う普通は普通ではなく、有難いことであることを私は理解しています。
でも私は、大学、就職と進んだことを心の奥底で普通のことだと思ってしまっていることから、当たり前となったことに感謝することは難しいのかもしれませんね。
私はこの生き方を選択して、色んな辛い目にあって、命を断つことも考える時期がありました。
しかし、この生き方を選択して、色んなことを乗り越えてきた経験が今の自分を作ってくれており、それは強さや誇りに繋がってくれていると感じます。
私は社会的に女性として適応する事を目指し、賽を投げました。
その賽は、自身の望む未来を掴みとれたようです。
そしてまた、私は異国の地で賽を投げています。
未経験で言語もままならない新しい仕事、パートナーとの出会い‥
5年前、男性として日々を過ごしていのに、今はこのような状態なので、ホント、未来はわからないものです。
悲しみを抱えながらも目の前のことを乗り越えていく。
きっと私だけではなく、皆さんそうなのでしょうね。