思い描く生き方とかけ離れている
人に優しくても私自身が期待通りしているようにはならない、期待する分だけ自分が悲しくなるのは分かっているのですが、どうしても家族や友人、周りの方に優しくすれば私も同じようにしてもらえると思ってしまいます。
友人に連絡をして既読スルーや返事がないとイライラしたり、連絡を送った相手の身になにかあったのではないか、嫌われているのではないかなど不安にもなりやすく、自分のことしか考えられません…
なにかをしたら返ってくると求め過ぎてなにもされないと相手ばかりが得をしているように思ってしまい、どんどん汚い心になっています。期待を求めるのでなくて、素直に思いやりのある心、優しい心、親切な心など慈悲の心を持ちたいです。「ありがとう」と言ってくれたらそれ以上求めない気持ちを持ちたいです。私は死後のことをとても気にしているので、亡くなったあとのことばかりを気にしています。神様や仏様のように心の中でどのように思っているのか分からない現世の方になにかをするときには、相手に対して悪いことを考えてしまい、行動をするときも私は周りの人達とは違う。私はえらいこれで死後は報われるなど考えてしまいます。ですが地獄をモチーフにしたアニメを見ると今のままではいけないと感じています。
今までたくさんの嘘をついて自分が寂しい、心配してほ欲しい、構って欲しいという理由だけで人に嘘をつくこともあります。自宅に天国と地獄の絵図が飾られており、以前その前で手を合わせて心境や状況をお話しして「つらいけれど頑張って生きたいと思っております。どうかこんな私でもお力をお貸しください」とお伝えしたら、はっきりとは覚えていないのですが、その晩の夢に菩薩様のような方が「慈悲の心」と教えてくださった気がしています。
現在は生きる意味や私は悪いことしかできていない人間だと思っていますが、「私らしく生きたい」と頑張りたい気持ちもあります。神様や仏様に頼りたい、助けていただきたいという気持ちは山々です。ですが、神様や仏様は自分で頑張ってみて、周りからアドバイスをいただいても変わらない、自分の力ではどうにもならなくなり辛くなったときには力を貸して下さる存在だと信じていますので、まずは自分でできることを行いたいです。なので、まずはハスノハの皆様にお力添えしていただきたいです。どのようにしたら、期待を求め過ぎず慈悲の心を持てるようになりますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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三輪清浄
チー 様 相談ありがとうございます。
三輪清浄(さんりんしょうじょう)という言葉をごぞんじですか?
慈悲を与える人、与えられる人 その間でやり取りする行為
その三つが執着なく、こだわりがなく清浄であることを言います。
例えば
あなたが満員電車で、座っている時、誰かに席を譲るとします。
その時、あなたは、「ありがとうう」と感謝されると思いますが、それ以上に席を譲ったことに見返りを求めますか?おそらく求めないと思いますが、
それならば、席を譲るあなたと譲られた人、そして譲るという行為は清浄であるといえます。
さて、このことをあなたの日常に応用してみましょう。
応用する前に、席を譲ったイメージをして、その時の少し晴れ晴れしたような気持ち、なんとなく心が温かくなったような感覚、そんな状態を
深呼吸と共に、まるで瞑想するように、充分に味わってみましょう。
その味わった感覚、気持ちを、しっかりと心に刻むこむようにしましょう。
そして、日常に応用してみましょう。
最初は、何となく難しいようでも、繰り返しイメージを持つようにすれば
段々と出来るようになっていくと思います。
返信がないことにイライラしたり、焦ったり、自分が情けないと責めたりすることをコントロールできるようになり、安心感が芽生えてきて、慈しみの心が宿っていることを感じるようになるでしょう。
自分のペースでいいので、心がけて実践してみてください。
そしてさらに、慈悲の心を育むとしたら、心理的ですが、コンパッションマインドセラピーをお薦めします。自分や他人に思いやりや優しさを向ける練習になりますので、検討してみてください。参考まで。
一礼