hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

前科のある彼氏。繰り返す犯罪。

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

交際している彼には前科があります。
交際する前に打ち明けられ、散々悩みましたが、受け入れ、交際することにしました。
ただ犯罪は二度としないと約束しました。

しかし、交際してからも職場でトラブルや不祥事を起こし、クビになったりしていました。
警察が関わるトラブルなどもあり、私の携帯にも警察から連絡が来たこともありました。

先日、彼の職場の方々が自宅に来ました。
彼が職場で度々、不祥事を起こし、厳重注意をしてきたにも関わらず、今日また不祥事を起こしたとのことでした。
何も知らなかった私は怒り、悲しみ、なんでそんなことしたの!と感情的に彼を責めました。

彼のしたことは犯罪です。
幸い事件にはしないそうですが、減給と簡単に辞めると言わずに、頑張って仕事を続けることが罪滅ぼしだからと会社の方に言われました。

彼にどうしてそんなことをしたのか尋ねると、
「自分でもなんでそんなことするのか分からない。」
「犯罪なんかしたくない。」
「普通に生きていきたいに決まってる。」
と言います。
自分の意思で悪いことをしてるのに、私には理解できません。
病気なのかもしれません。

彼はそれから仕事には行っていますが、身が入らないようです。
一歩間違えば、大きな事故や人の命に関わる仕事です。
自暴自棄になり、「もう辞めたい。」と言っています。

私は今まで散々、彼に嘘をつかれ、浮気され、たくさん泣いてきました。
彼のご両親も昔から悪事を働く彼に愛想をつかし、疎遠になっています。
ご両親も散々苦しんだのだと思います。

私もそんな彼を支えることができるような大きな人間ではありません。
彼とはもう離れた方がいいのは十分理解しています。
ただ彼の犯罪で傷つき、苦しむ人がでることを彼に分かってほしいのです。
彼自身のためにも、周りの人のためにも悪いことはやめてほしいのです。
過去の罪は消せませんが、本人の気持ち次第でやり直すことはできると私は思っています。

私は彼にどう向き合えば良いのでしょうか。甘やかすつもりはありません。
私自身も苦しいです。
ただ一人にしてしまって、自暴自棄になりまた犯罪に手を出さないか心配です。

専門機関の相談窓口にも相談希望を出しました。

2023年7月27日 10:12

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自己愛メインの人間の愛は自分にしかむかわないからこそ、の…

人は犯罪性や非道・不正が先にあるのではなく、存在が先にある。
存在している以上は、BEINGですから「状態」がある。
存在と状態。存在「の」状態。
物理的BEINGと心理的BEING。
その身心の状態がいい状態・いいコンディションであれば犯罪や不正、非道な行為は起こらないのです。
誰もが内なる鬼、悪魔、悪心におびえている。保身。
みな自分の鏡、自分の作り出した心理映像をあたかも真実であるかのごとくに錯覚して、その内なる影に苦しんでいる。
その内なる自己の幻・想念・おそれの正体を見極めることができる人「自らを見極めた人」が増えれば、世の人は人自身を苦しめる「わるいはたらき」を滅することが可能です。
彼だって24時間いつでも凹スカ犯罪しているわけではありません。
彼にとっては本当に愛する存在がある。あなたのことを愛しているならば、あなたに対しては手を上げたり傷つけるようなことはないはずですから言葉と実際のズレ・違いで判断する。真実はウソをつかない。だから彼は浮気やウソを繰り返す。
彼にとって必要なことは、自己愛よりもあなたが言うように人の痛みがわかることです。
つらい経験が続いて彼が自分の身心を防衛するのに精一杯になり、他の方向が見えなくなってしまった結果がそうだとしても、それを選択し続けているのも彼の選択。
自分を守るのが精いっぱいだから、自分のやっている行動が自分でもわからなくなる。何をやっているかわからない。どこへ進んでいいかがわからない。
誰もが生まれは選べないですが、生き方は選べる。
生まれのせいにもしない、人のせいにもしない。
過去のせいにしない。今日とみらいにより良い選択肢を与えることが幸せの種まきの手法。あなたが枯れにできることがあるとすれば、別れ際に彼に進むべき道を示すこと。口では何とでもいえるから騙されないようになる。
あなたも、自己の心を豊かにするためにこそ、彼と関わることを控えて、自らの心を豊かに成長させる自由を選択する。ただ、この自己の存在・状態BEINGをより良い心へと自ら豊かなBEINGへと成長させようとすることの価値が彼にわかるかどうか。その志が起こるかどうか。縁を加えた後は彼次第。あなたの責任ではありません。そこに価値を見出す事ができれば彼も変わる可能性もありますが、一生無宗教の人が多数存在する現実がある以上、期待はできません。

2023年7月27日 14:28
{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。
おっしゃるとおり、私は私自身の心を豊かすることを一番に考えていきたいと思います。
彼との今後は分かりませんが、彼自身の問題は彼が考えたり、気付いたり、選択していくことですね。
ありがとうございました。

煩悩スッキリコラムまとめ