先月に亡くなった妹に聞きたい
先月、長年透析をしていた妹が亡くなりました。妹は足も悪く車椅子で、目も片方見えず、耳も補聴器なしでは聞こえませんでした。それでも、本人は太陽のように明るく、誰にでも挨拶をする好かれる人でした。父と母、姉の私とヘルパーさんの手を借りながら生活してました。妹と接した人は、みんなが逆に元気になれると言ってくれました。
妹はいい血管が無く、カテーテルで透析をしてましたが、そのカテーテルが自然に抜けてしまい透析ができなくなってしまいました。家族が病院に呼ばれ説明を受けたのですが、受け入れられず何とか妹を助けてほしいとすがったのですが、もう無理だということでした。
朝にヘルパーさんと笑顔で行って来ますと言っていたのに、あまりに突然で。
透析が出来ないということは死を待つという意味です。透析が出来ないと本人にはとてつもない苦痛が待ち構えているのはわかっていたので、私たち家族は少しでも苦しくなく楽に逝けるうに入院を選びました。
妹はまた透析ができると思い希望をもって入院しました。私たち家族も早く手術をして、透析して家に帰ろうと苦しいウソをつきました。
それが1週間ぐらいで妹が血を吐き、体が痛いと苦しみ出しました。先生に何とかこの苦痛をとってほしいと懇願しました。病院も痛み止めや吐き気止めの注射してくれました。何があっても笑顔だった妹からは苦痛の表情しか無くなり、「痛い!苦しい!怖い!」と叫んでいました。本当に本当に妹も家族も辛かったです。
先生が最後に痛みを感じなくなるように睡眠ができる点滴を打ってくれました。「もしかしたらこれで、スッと心臓が止まってしまうかもしれません」と言われたんですが、とにかく痛みと苦しみとってほしいと泣く泣く了承しました。
そしてその次の日の朝に妹は静かに息を引き取りました。
妹に心から会いたいです。
今は苦しくない?幸せに暮らしてるの?
今までの人生は幸せだった?
最後にうまくウソがつけないでこめんねと謝りたい。
時間だけが過ぎていき、妹がひょいと帰って来そうな気さえします。
せめて今は苦しんでいないか知りたいです。
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苦しみなく過ごされていることと思います。
あきこ 様
妹様のこと、まずは、お悔やみ申し上げますとともに、ご冥福をご祈念申し上げます。合掌礼拝
妹様は、病に負けず、いつも明るく、周りの人を元気にする存在だったのですね。素晴らしいことだと思います。きっとその功徳が報われて、仏様の処で、苦しみなく過ごされていることと思います。私はそう信じます。
「人の寿命は無常なり」と言われいます。健康であってもいつその時が来るのかわかりません。ですので「今を生きる」「今を生ききる」ということをここがける必要がありますが、妹様はそれが自然とできていたのでしょう。
あきこ様はじめご家族の皆様は嘆き悲しんでいるのも当然のことかと思います。
愛する家族を失うと、嘆き悲しむのが当たり前ですし、まして伝えらえなかったことがあったことが後悔になり、混乱した気持ちになったりもします。
それでもいいと思います。嘆き悲しむのはそれだけ皆さんが妹様を思っていた証ですし、愛情が伝わっているからだと思います。
だから嘆き悲しんでいいのです。でもやがてそれは底打ちます。
そして伝えられなかったとか、こうすれば良かったとかの後悔ではなく、出来たこと、してあげたこと、喜びを分かち合ったことを沢山思い出してください。
妹様の屈託のない笑顔を思い出してください。
その笑顔から、生きる勇気をもらってください。
そうすれば妹様もますます安心して仏様のところで苦しみなく悩みなく居られるでしょう。私はそう信じています。
どうか、そのように思うことを心がけていただいて、嘆き悲しみに捕らわれないようにしていただければ宜しいかと思います。
合掌礼拝
お礼メッセージありがとうございました。悲しくて「今は無理でも・・」はよく解ります。悲しくて辛くて混乱しているかもしれませんね。そして受け入れられないかもしれません。とはいえ心のエネルギーを溜める時期かもしれません。無理ないようにどうぞお過ごしください。再礼
質問者からのお礼
回答頂きましてありがとうございます。
妹が亡くなってから、このように胸のうちを話せて相談したのは初めてでした。そして回答しずらい内容だったので、返事を頂けるとも思っていなかったので、本当に感謝します。気持ちに寄り添ってくれてありがとうございます。今は無理でも悲しみに捕らわれないよう、回答を何度も読み返したいと思います。