大学が辛いです
小さい頃から、親の期待に応えたくてそのために頑張ってきました。
親の希望する大学の学部を目指して勉強し
自分でも私ができることのなかで一番成果が出せるのは勉強だろうとも思っていたので
勉強を続け目標の大学に進学できました。
ただ、
進学が目標になってしまっていたため、モチベーションがないこと
入った学部で、ほとんどの人が進む進路・職業に就きたくないこと
学部の試験や進級条件が厳しく、毎度ギリギリで通る形になっていること
などがあり学校に通い続けるのが辛いです。
試験が近くなるたび、
「通らなかったらどうしよう」、「留年したらいくら無駄にするんだろう」などと考えては暗い気持ちになり、
この先も続いていく大学生活を思うと暗い気持ちでいっぱいになります。
どんなに親が失望するかと思うと学校を辞めることもできないし
続けた先もなりたいと思える職業ではないし
いっそ自分なんて元からいなかったように消えてしまえたらと思います。
将来の自分のことを考えるとせめて大学卒業までは頑張るべきだとは思うんですが気持ちが追いつかなくてしんどいです。
親の期待に応えたい気持ちは今も変わらずありますが、この主体性もなくやりがいもない人生を続けていくのかと考えるとうんざりします。
乱文、長文すみません。どうかご助言いただければと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考え方としては二つあります
みんなじゃないかもしれないけど、かなり多くの大学生が同じことで悩んでおられます。
私は大学に入った当初から坊さんになると決めていたので、進路に迷うことは基本的にはありませんでした。が、就活をなさっていた先輩が、「指定校の枠に入っていないと面接も試験も受けられない」「入れてもらえる会社に入れてもらうしかしょうがない」等々とおっしゃっていたことが思い出されます。何がやりたい、という問題じゃなかったんです。いまは若年人口が小さいので学生さんに選択権があるのかもしれませんが、何をしたいのかが分からない学生さんが多いのは現在も昔も変わらないと思います。
さて、あなたには二つの選択肢があると思います。一つは、何が何でも嫌なら別の道を歩く、つまり退学して別の道を探す、というものです。何が何でも嫌なものは嫌だということでしたら、さっさと別の道に進んだらよいと思います。若いうちですからやり直しは容易です。
もう一つは、「自分探し」をやめて「自分なくし」を考えてみる、というものです。「自分なくし」という言葉には馴染みがないかもしれません。みうらじゅんさんがおつくりになった新語みたいなものです。自分がやりたいこと、自分が進みたい道という「自分」をなくする。仏教では、自己中心的な考えに固執することがっ苦しみの根本である、自分流の判断など間違いだらけで苦悩の原因でしかない、と考えるのです。ご縁を大切にする、つまり、いま学ばせていただいている学問領域や大学とあなたはもともと「ご縁」があったので、そこにいると考えてみる。すると、新しい視界が開けてくる。そういうことって確かにあると思います。
どうされるかはあなた自身の人生で、あなたがお決めになるしかありません。が、仏教の考え方に賛同なさる立場で、大学生にお話しになっているみうらじゅんさんのyoutube動画をご覧になってみてください。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
将来が怖い気持ちはありますが、やり直している間に周りに取り残されることも恐ろしいので、「自分なくし」をしてみようと思います。
目標を目指して勉強する同級生や楽しそうな他学部の部活仲間を目にするたび、単に比べてしまい、羨んでしまっていましたが、人生は「ご縁」によるものだからそれを大切にするべきだ、と思うと気が楽になりました。
ありがとうございました。