恋人がいるのに他の人が気になっています。
私はセクマイで、その事をまわりに隠しています。
無性よりですが、まだクエスチョニング と思っている状態です。
私好きな男性(A)がいるのですが、その事を伝えられずに女性として別の人(B)と付き合ってしまいました。
女性としてならBの事が好きなのですが、本来の自分ではAが好きなのです。
今までAは性別の垣根を越えた一番の親友として過ごしてきましたが、この間Aの家に遊びに行った時に、性別の事をカミングアウトしてしまいました。
絶対ひかれる、友達でいられなくなる、と思っていたのですが受け入れられてしまい、その上その日は帰る時間になるまで抱き締められて過ごしたので、また気になってきてしまいました。
しかし、今はどこか遠くで突き放すような態度をとられています。
Aはあまり恋愛に関心がなく、望みは無いと思います。
どっちにしろBを裏切る状態なのに変わりは無いのですが、どっちかだけに生きることができません(性自認が自分でもあまりわかっていないので、)
おまけに自分はAセクシャルで、くっついたり 触れあいは好きですが、他人を性的対象として見ることができません(キスまでなら大丈夫です)
Aは性行為を求めてきたりはしません。しかしBはわかりやすく体を求めてきます。
そういった点でもAにひかれているのです。
性自認すら曖昧な、どっち付かずな自分は恋愛すべきでは無いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
性別は記号にすぎない
人間は、五つの要素がからみあって瞬間瞬間に生じては滅していく、波のようなものです。
色(物資・肉体)、
受(眼耳鼻舌身意から入ってくる刺激、たとえば音)、
想(音の刺激を「鳥の声」と判別)、
行(鳥の声に耳を傾けようとしたりする衝動)
識(認識、こころ)
以上の五つ「五蘊(ごうん)」と言います。ももクロの歌のタイトルにもあります。
つまり、人間というのは、五つの要素が瞬間瞬間に生まれては消えていく連続的な現象にすぎず、ゆるぎない実体はないのです。
「男性」「女性」の区別や、「人間」「動物」「私」「他人」の区別も、五蘊に対して仮に名付けられた言葉、概念、記号です。
社会には記号を使ったルールが必要ですが、記号は絶対的な真実ではないのです。
青信号という記号が「絶対安全」ということではないのと同じです。
男性か女性かというのは、社会的なルール上の仮の記号です。
あなたという「五蘊」が、ときには男性を好きになったり、ときには女性を好きになったりすることもありえます。瞬間ごとに五蘊のコンディションが変わるのだから。
ただし、法律上は青信号と赤信号に区別があり、いくら車が来てなくても赤信号を渡ったら違法です。
社会生活では、仮の記号でも、一応は記号を使って生活しなくてはなりません。
心の中では男性とか女性とかのカテゴリー分けは不要ですが。
いずれにせよ、浮気や不倫は悩みの種になるから良くないので、あなたが誰を好きになっても自由ですが、交際するときには二またをかけないようにしましょう。
自分と他人の区別も記号にすぎない。3秒前に誰かが吐いた空気が、今は自分の身体の一部。だからこそ、他人を傷つけないマナーを。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
五蘊、というのは興味深いです。ももクロが出てきた事にはビックリしましたが。
性別=記号という言葉にもなるほど、という思いです。
どっちの生き方をとるのか決断しなくてはいけませんね。
二股はかけません、ありがとうございました。