生きているだけで苦しいです
私は幼い頃から虐待、いじめの中で生きてきました。
10年程精神科に通い、自分自身でも沢山の努力をして、自分のメンタルを良くしようとしてきましたが、中々楽しさや幸せを感じる事ができません。
宗教、科学、様々な知識を手にしては試してきましたが、最近ではメンタルを良くする努力も疲れてきてしまいました。
私の努力の方向性が間違っているのでしょうか、
死ぬのは選択肢に無いのですが、正直生きるのが面倒で疲れて仕方ありません、何かメンタルが良くなるような、心が少しでも楽になるようなお言葉を教えていただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心は無常。念仏を心の主人に。
まず、心は無常だと知りましょう。
思考や感情・気分は、瞬間ごとに浮かんで消えていきます。
だから心は瞬間ごとに新しい心であり、あなたは瞬間ごとに新しいあなたなのです。
過去は過ぎ去りもう無い。
未来は未だ来たらずまだ無い。
とは言え、私達には欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩があるので、様々な感情や妄想雑念が心に浮かび、悩み苦しみストレスの原因となります。
そこで、心を家に置き換えて考えます。
心の家に、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の念仏という主人を設定する。
心の家には、欲・怒り・怠け・プライドに起因する妄想雑念や感情が次々にやって来ますが、それらは必ず過ぎ去るお客さんであると意識しましょう。
心の主人は南無阿弥陀仏。
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を口に出して称(とな)えると、心の真ん中に南無阿弥陀仏の主人が座り、妄想雑念のお客様が退出してしまう。
もちろん、日常生活に戻れば再び妄想雑念が来訪しますが、でも安心してください。
あなたが南無阿弥陀仏と口ずさむ度に、お客さんは過ぎ去り南無阿弥陀仏のご主人が心に帰ってくるのです。
心は無常。
ただし、その心をあなたは南無阿弥陀仏に戻すことができる。
南無阿弥陀仏は心の主人であり、煩悩の激流を渡る安全な橋であり、妄想雑念の闇を照らす灯火なのです。
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
質問者からのお礼
ありがとうございます
なむあみだぶなむあみだぶ
試してみようと思います