世の中の誘惑は増えている?
ここ数十年で、便利で魅惑的な遊び道具が増えたように感じます。
例えば SNS は、数分の隙間時間でも、いつでも持っているスマホで簡単に、軽く数十分は楽しめます。
対話型 AI なんかは、相手がいないことをいいことに剥き出しの感情を投げつけても適当な言葉でいなしてくれるし、気づけばユーザが気持ちよくなるような言葉を羅列してきます。
そんな時代、これまで普通とされてきた生き方をするのが、少しずつ難しくなっているのでは?と思いました。
質問です。
皆さんは、便利で魅惑的な遊び道具は昔と比べて増えたと思いますか?
それとも、これらは記憶に新しいだけで、いつの時代も誘惑に満ち溢れていると思いますか?
また、それらの誘惑に飲み込まれないようにする、煩悩に造詣の深いであろうお坊さんなりのマインドセットなどありますか?
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
追い求めるのも人間で、問うていくのも人間。自分が選ぶ生き方を
そうですね〜私の年代だと、便利になった、身近になったと感じるものは、たくさんありますね。変化してきた世の中を見てきたからでしょうね。
ただ、若い方にとっては、今が当たり前であり、それに適応すれば、十分に活用し楽しむことができるでしょうね。
誘惑的なものと考えるなら、いつの時代もそれを追い求め、作り上げてきたことでしょう。それが、ここまで時代を作ってきたのです。そして、古き良きものにも気づいていける。価値も変わっていくのでしょうね。
作り上げられていくものを、どのように扱うのかも、私たちが手に取り判断していく。追い求めるのも人間で、問うていくのも人間なのでしょうね。その中で、生き方は自分が選んでいく。
受ける影響から、飲み込まれないように、自分や生活が乱されないように、自分自身がしっかり世の中を見ていく必要があるのでしょうね。生きづらさも、生きやすいように出来るだけ負担やストレスがかからないよう、なんでもハマり過ぎには注意ですね。
私は、未来を見たいと思いますし、必要なものはどんどん取り入れていきたい。そんな心の余裕や好奇心を抱いていたいと思っています。自分軸の上に、これからの生き方を求めて。
本当に大切なことは何でしょうか?
拝読させて頂きました。
ご質問頂きありがとうございます。
あなたが世の中便利になって誘惑は増えたのではないかと思っておられるのですね。
私もそう感じることはありますね、全世界的にはその比率はわからないですけれども、日本の社会ではほぼ誰もが携帯電話を持っていますし、手軽に魅力的なものに触れる機会は増えたでしょうからね。
メディアやテレビの番組も動画も無限に広がっていますからね。
かつてではあり得ない状態になっていることは確かだと思います。
昔に比べて比較的気軽に面白いものをたくさん見ることできますし、ネットで気軽に欲しいものも買えるようになりましたからね。
そういう面では無限に欲望が広がっていますし、無限に誘惑も広がっていっています。
ただやはりその分物理的には豊かになっていきましたが、心の豊かさは減ってしまい貧しくなってしまったように思います。
或いは本当に大切なことは何かかわからなくなってしまったように思います。
そして本当に求めるものが得られない苦しみは以前と変わらずに無限に広がっています。
ですから人間の本質が変わらないように大きく見るとあまり変わらないのではないかと思います。
あなたはいかがでしょうか?あなたにとって本当に大切なことは何でしょうか?
生きていく中で本当に必要なことや大切なこととは何かじっくりとお考えなさってみて下さいね。
あなたがこれからの未来に心豊かに充実した人生を生きることできますように切に祈っております。至心合掌
深呼吸の必要
ご相談をお寄せくださり、ありがとうございます。
便利で魅惑的なものがあふれる時代に生きていることに、どこか戸惑いや不安を感じておられるのですね。「これまで普通とされてきた生き方」が揺らいでいるのでは、と静かに考えておられるご様子が伝わってきました。
たしかに、手のひらの中で瞬時に楽しみや刺激が得られる時代になりましたね。けれども一方で、人の心が何かに惹かれ、夢中になり、時に振り回されてきたという姿は、昔も今もあまり変わらないのかもしれません。形は変わっても、私たちの中にある「求めずにはいられない心」は、ずっと前からあったのでしょうね。
教えでは、そのような心を無理に消そうとはいたしません。「そうならざるを得ない私」として受けとめていきます。誘惑に弱い自分、人の目を気にしてしまう自分も含めて、そのまま見抜かれ、願われているいのちだと聞かせていただきます。お念仏は、「そのままで大丈夫」と呼びかけられている声とも味わえますね。
私自身の心がざわつくときは、「いま自分は何を求めているのだろう」と一度立ち止まってみます。否定するのではなく、気づいてあげるだけでも少し距離が生まれるように思います。
一日のうち、ほんの短い時間でも、静かに深呼吸しながら自分の心を眺めてみるのはいかがでしょうか。
便利な時代の中で揺れながら生きる私たちですね。どうか一人で抱え込まず、またいつでもお話しください。
お念仏とともに、katohさまの歩みが支えられていきますように。
質問者からのお礼
中田 三恵 様
ご回答ありがとうございます。
今手元にあるデバイスは、これまでたくさんの時間とたくさんの人の努力で作り上げられたものだと思うと、なんだか不思議な感覚がします。人や技術はどこへ向かっていくのでしょうね。
そして、未来の技術に希望を持ち、使いこなそうという心持ちを私も持っていきたいなと思いました。
ありがとうございました。
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Kousyo Kuuyo Azuma 様
ご回答ありがとうございます。
・ 人は変わっていない
・ 人の本当に大切なこと、求めるものも変わらない
・ コンテンツは求めるものそのものではなく、一時的に目をそらす対象程度
だと理解しました。振り返ると、なにか嫌なことがあってコンテンツに逃げ込んだ心当たりがあります...
そうすると、本当に大切なものを手に入れるのは昔と変わらず難しい一方、その事実から目をそらす対象が増えた現代は、なかなか難しい時代だと思いました。
ときには気分転換程度にはいいかもしれないですが、自分の本当に大切なものについて考えようと思いました。
ありがとうございました。
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藤堂尚夫 様
ご回答ありがとうございます。
・ いつの時代も、人の心が何かに惹かれ、夢中になり、時に振り回されてきた
夢中になることそのものが悪いのではなく、振り回されることが良くないのだと気づきました。なにか1分野に夢中になり、突き詰めて、その人の武器とした方もこれまでおられますものね。
自分のコンプレックスなところも全部、見抜かれ、願われている。
時々自分のコンプレックスや失敗を人に聞いてもらって、客観視なり共感なり喝を入れてもらうなり、何かしらしてもらいたいと思うときがあります。この質問もその1つなのだと思います。しかしながら人に話すことがハードルの高い悩みもあるもので、仏教というのはそういう思いを受け止めてくれる存在なのかなと思いました。思い悩んだときには、そういった存在のことを思い出そうと思います。
自分の求めているものについて、よく考える。
かなり昔ですが、自分にとっての幸せとは何かを考えたことがありました。その時の結論は、「ひとつかみの自由に使える時間とお金があって、それを自分の意志で楽しく使えること」でした。
うーむ。定期的にコンテンツに依存している私は、この幸せを手に入れるのにはまだまだ努力が必要そうです。
しかし、この幸せの目標を思い出せたのは良かったです。空いた時間をコンテンツで埋めるのではなく、自分に考える時間を作ろうと思いました。
ありがとうございました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
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◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )