自分で自分を急かしてしまう。
今回もまた、心との向き合いかたのアドバイスをいただけたらと思います。
私は、自分で自分を急かしてしまう事があります。せっかちな部分もあるのですが、なぜか、目に見えないものから逃れるように、『早くしなきゃ、早くしなきゃ。』と焦ってしまうのです。
それが仕事だったり時間が決まっているものなら、自分でも理解出来ますし、なるたけ焦らないように余裕のある行動をしようと思っています。
それでも、焦ってしまうことがあるのですが…
でも、自分でも理解が出来ないのは、時間も決まっていない、いつでもいいことに焦りを感じるのです。
例えば、食事の用意をしている時。
私は毎日同じ時間に食べられるよう、作る献立によって時間を軽く逆算し作り始めます。
なのですが、作っている途中に家族がキッチンの椅子に座ると、急に焦りが出てきて、作ろうと思っていたものを作れなくなる時があります。
家族は別に早くしろとも言っていませんし、ただテレビを見ているだけです。
でも、なぜか焦ってしまうのです。
そして、自分でももっと分からないのが、好きなものに対しても出てくる焦りです。
好きなアーティストが新しいCDを発売し、それにDVDも付いてくるとします。
そうすると、曲もDVDも早く聞かなきゃ、観なきゃと、なぜか焦りが出るのです。
誰も急かしていないし、誰かに話さなきゃいけない訳でもなく、自分の好きな時間に好きなように聴いたり観たり出来るものに、なぜか
『早くしなきゃ、早くしなきゃ。』
と感じてしまうのです。
なかなか観れないでいると、
『他のみんなは、もう観ただろうに…』
と、知らない誰かに焦るのです。
楽しみだから、早く観たい!って気持ちがもちろんありますし、それの方が大きいです。
でも、なぜか盛り沢山なことに焦る自分がいます。
元々、一回にいくつものことがあるの
が苦手なところもあり、沢山のことを一回で出来たり、こなせる人をすごいなと感じています。
自分は一つのことしか出来ないなぁと…
自分でも、なんでだろう?と思いますし、こんなことで悩んで、とおかしいなと感じますが、自分で自分を急かしてしまう心をどう扱っていけばいいでしょうか。
目に見えない何かを怖がることなく、
好きなものを楽しめる、気にしないで事を進められる、そんな心を持ちたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の人生ですから
拝読させて頂きました。大変頷ける事かと共感致しました。以前私もそうだった様に感じます。
最近では歳をとってきたせいか薄れてきました。具体的には私の人生は限られている。だから一つ一つの体験や生活をじっくりと行いどう感じるかを大切にしたいと思うようになりました。
慌てて何でもやるとその感じ方が自分の中に残らないのではないかな?と感じます。例えばとても聴きたい曲はじっくりと五感を働かせてしっかりと体感したいと思うようになりました。
そうする事で今を生きていることを有難く感じますし、生きる自分を大切にもできて豊かな人生を送ることができるように思います。
毎日が慌ただしい生活でもありますが、ふと一息つきながらご自分の限りあるひと時ひとときである人生を大切にお過ごし頂きたいと思います。
あなたにとって人生がより豊かで実り多きことをお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
kousyo Kuuyo Azumaさま。
言葉一つ一つが温かく、とても胸にきました。
そして、読んでいて、私はちゃんと『今』を感じながら生きていなかったのかもしれないと感じました。
大好きなアーティストの曲に対しても、
『聞きたい、観たい。』という気持ちよりも、『聞かなきゃ、観なきゃ。』という焦りの気持ちの方がもしかしたら大きくなっていて、その曲を大切に出来ていなかったのかもと、
『慌てて何でもやると、その感じ方が自分の中に残らないのではないかな?』
という言葉に、気づかされました。
゛人生は限られている。゛
この言葉は本当に重く、大きかったです。
でも、だからこそ『今』を大切に過ごすことの大切さを感じました。
温かいアドバイス、本当にありがとうございました。