地獄について
お時間をいただきありがとうございます。
僕は今は中学3年生です。最近、死後について考えることが増えて
きています。
そのなかで地獄がとても怖く感じました。
虫を殺しても地獄行きなのでもうとても悲しいです。
しかもとても残酷な拷問があるとおもうと、例えば切られたり刺されたり、
地獄におちるのがとても怖いです。
あるサイトでいい行いをしても帳消しにはならないとかいてありました。
地獄は存在するんでしょうか、僕はまた人間に産まれたいです。
僕の親は日蓮宗を信仰してしまいます。
死後は霊山浄土へ行けるとネットではかいてありました。
それは極楽なところなんでしょうか、
どうか悩みをおはらしいただけると嬉しいです。
地獄への恐怖がめばえてしまう。死ぬのが怖い
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その悩みは素晴らしいものです。大切にしてください。
まだらさん、おはようございます。多感な思春期、物事を真正面から受け止める事の出来る、貴重ですばらしい時期ですね。まだらさんは、どのような場面で地獄のお話を聞かれましたか。地獄については、しつけの一環として、「00したら~なるよ。だから、やめましょうね。」という話が必要な場合もありますが、私が僧侶としてお話しする時には、「極楽・浄土・阿弥陀さま」(=私たちを見守り、真実に導く存在)という方向性を含めたお話しをしております。まだらさんが鋭く気づいているように、「人間は、虫を始め、様々ないのちを奪いながらしか生きていけない動物です。それを当たり前だと開き直るのではなく、奪ったいのちへの懺悔(=ごめんなさい)といただいたいのちへの感謝(=有り難う)と、だからこそこのいのちを精一杯生き抜きますという決意を「いただきます。ごちそうさまでした。」という食事の言葉にして、ご先祖は伝えてきたのです。
そして、人間の根底にある悲しみや苦悩を抱える中で、「なぜ生まれてきたのか、どのように生きていくのか、いのちが終わったらどうなるのか」という問いを与え、苦悩に光を当て、具体的な生き方の指針を与えてきたのが、仏教2500年の歴史なのです。さらに、仏教では、様々な出来事を因・縁・果という言葉で説明してきました。「一つの結果は一つの原因によって生み出された」と考えるのではなく、「一つの原因も、その過程にある縁(=条件)によって様々な結果に変わっていく」、だから、「変えられない過去に執着するよりも、よりよい結果を生み出すために様々な縁(=条件)を自分が工夫していこう」(その工夫の一つが八正道とも教えられます。)というのが、本来の仏教の方向性なのです。
また、極楽のとらえ方は、仏教各宗旨でも異なりますので、まずお参りにおいでなさる日蓮宗のお坊様に直接尋ねてみてください。心あるお坊様なら、まだらさんのまっすぐなお尋ねを真摯に受け止め、言葉をかけてくださると思いますよ。(ちなみに、宗教や仏教について、ネットの情報だけを鵜呑みにするのは少々心配です。最終的には、直接会ってお話をしたり、聞かせてもらうことが、まだらさんの安心につながると思います。)
このハスノハへ勇気を持ってお声かけを頂き、有り難うございました。まだらさんのこれからを、私たちハスノハ・メンバー僧侶が応援しています。ご縁に感謝!!合掌
質問者からのお礼
忙しい中ご回答いただき、ありがとうございます。
少し不安が軽くなりました。
感謝する気持ちを大切にしたいと思います。
とてもわかりやすくためになるいい文でした。
またご質問するかもしれませんが、ご回答
お願いいたします。