地に足のつかない自分から卒業したい
自分に自信がなく、主人や娘にさえ、本音が言えません。
強がってしまい、素直になれません。
嫌われるのを恐れて咄嗟に嘘をつくこともあります。
他人に関心が薄く、友人もいません。
察しが悪く、気配りが足りません。
怠け癖があり、面倒くさがりです。
現実逃避ばかりします。
浪費癖もあります。
先日主人との大喧嘩をきっかけに、このように自分の欠点と向き合って考えています。
主人は地に足のついていない私を、物凄い剣幕で叱りました。
今、夫婦の会話がない状態ですが、それも致し方ないと思っています。
猛反省し、生まれ変わりたいと思いますが、今までのだらけきった性格を急に正すことは難しいです。
気負って挫けてしまわないようにしたいのです。
大きな目標を掲げては、億劫になってやめるという中途半端ばかりをしてきました。
そんなことにはしたくありません。
けれども、時折不安が顔を出します。逃げ出したくなります。
ああしよう、こうしようと考えていたことに自信が持てなくなって、挫けそうになります。
慌てず、焦らず、不安をコントロールできる心構えなどがありましたら教えて頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私のことが書かれているのかと思いました…
唐突ながら、あなたに非常に親近感を覚えました。
私と同じですね…同じ人間ですね。ある意味うれしくなりました。やっぱりみんな同じ人間なんだな と実感しました。
こんな自分はイヤだ、変わりたいと思います。でも、変われるものなら既に変わってますよね。別人になって輝く人生生きてるはずですよね…。
でもそうなってない、変われないのです。…そうですか、あなたもでしたか…。
この苦しみから逃れる方法は二つ。
一つに、それでも何としても私は変わってやると固く決意して、自らの思う道を歩み続ける…多くのお方の歩んでおられる道です。
もう一つは、今の自分を「そのまま受け入れ」て生きる道です。
そんなの出来ないよ!と決め付ける私ですが、ただ、こんな自分を受け入れて下さる存在に出遇えたときに初めてそれが可能となります。
例えば幼子が親に自分の存在の全てをそのまま受け入れてもらうことで成長していけるように、生きていけるように…。
大人にはそんな親は居ない…いえ、どんな人に対しても、慈しみの御心で見守り続け、受け入れて下さる存在を仏様と申すのです。だから仏様を親様とも申します。もっと言えば、そういう私をトコトン受け入れて下さる「おはたらき」を仏様と名付けたのだとご理解下さい。
理屈は分かるけど、私は今の自分を受け入れる そんな人生イヤだ…そうおっしゃるあなたをこそまるごと受け入れ、離れない、離さない「おはたらき」をこそ仏様と申します。
質問者からのお礼
小林覚城様、お答えいただきありがとうございました。
お言葉の意味を取りこぼさないように、何度も何度も読み返しました。
私の気持ちを受け入れて頂けたというだけで、気を張っていたものがすっと取れたような気がします。
けれども、愚かな私はおそらく今後も同じ苦悩を繰り返していくのでしょう。
その時は「おはたらき」仏さまの存在を思い出したいと思います。