人を好きでいることの苦しみ
以前相談させて頂いた者です。
1年近く前から付き合っている彼が、忙しいということでだんだんと会う頻度が減り、好きという言葉も言われなくなり。きちんと話し合い、気持ちは最初から変わってないと言ってくれたのですが。。
好きな人という存在は、うまくいっているときは自分を温めてくれる太陽のような存在です。
でも、うまくいっていないとき(例えば、連絡がこない、向こうからは会いたいと誘ってくれない、などなど)は、自分を闇に陥し入れる存在になってしまいます。いつも連絡を待ってしまっている。見えないロープに半年以上縛られている心持ちです。
相手の態度に一喜一憂して、気分が落ち込むときの苦しみからいい加減に逃げたくて、すっぱり別れた方がいいようにも思います。でもやっぱり好きで離れたくない。後悔するかもしれない。勇気がない。彼が他の人を好きになったら嫌だ。
人を好きになるのはこんなに苦しいことなのでしょうか。毎日毎日苦しくて、この世から消えてしまいたいとすら思います。大袈裟と思われるかもしれませんが、こうやって人は鬱状態になっていく、と実感しています。考えると寝付けなくなってしまいます。
ハスノハはいつも拝見しておりますので、諸行無常とか、人の気持ちは自分の思いどおりにはいかないとか、相手に執着しないとか、お坊さまの仰ることは頭では理解しております。言い聞かせております。
でも、理屈じゃなく好きな相手が、自分自身を苦しめる存在になってしまっているとき、それでもなお好きである場合、どうしたらいいんでしょう。別れを切り出したところで、心の隅には引き止めてくれる彼を期待している。そのまま別れを認められたら、それはそれで苦悶する。
八方塞がりで苦しいです。どうかご助言をお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
呪(しゅ)かも
こんにちは。いきなりイヤな言葉を出してごめんなさい。ずーっと悩んでこられた気持ちを、胸襟を開いて告白してくださったのでしょう。それは掛け値なく尊いことと存じます。
ですからこちらも本気です。
今のあなた方は、「付き合ってはいるが、生活を共にしていない」とお見受けします。だから気持ちとか思いとか、具体的でない、言葉の上での事柄になっていると思います。その中で、「でも好き」という。そこが私からは呪に見えるのです。これ、決して悪いだけの意味ではありませんよ。言い方を変えれば「決意」とか「一貫性・自己同一性」とも言えるものです。
思うに、女性の方が「感情の記憶」に優れていますよね。「あの時もこう言った、この時もこう言ってくれた」と。「いっつもそう!」という訳ですが、これはプラスの感情もマイナスも、どちらにも作用します。「それでも彼が好き」、それは過去の彼ではないのですか?
ですので、女性にはその特性を補完する志向もあります。「現実に変化が起きると、過去はスッパリ忘れる」という。元彼に対する感覚と、元カノに対する感覚は、全然違うのです。男の方が、ずっと後をひきます。
あなたの文章を読んで感じるのは、「もう彼は私をキープしたいと思っていない」ということです。
であればね。何か行動に出るタイミングなのではありませんか?一緒に住むとか婚約するとか。彼があなたの予感通りであれば、その白黒がつきますし、うまくいけば「生活につながる恋愛」になることでしょう。いづれにせよ、今の状況からは動くはずです。
質問者からのお礼
佐藤様
お忙しい中のご回答、誠にありがとうございます。
何か行動に出るタイミング、とは仰る通りと思います。生活につながる恋愛、は不可能かつ望んでいないため、もはや潮時なのだと思います。
呪、を私は悪い意味と捉え、自分自身のかけた悪い呪い、と納得しました。
噛み締めて行動に移したいと思います。
重ね重ねありがとうございます。