私自身
私はせっかちな性格です。何かをする時は段取りを考えて少しでも効率よく早く終わらしてゆっくりしたいと思って行動しています。それは、私だけの事で回りに早くしろとか、段取りが悪いとか文句を言った事は一度もないのですが、ここ一年ぐらい自宅の事、実家の事全て一人でやっているんですが、旦那も母親も私に任せっきりで…旦那も母親も性格もわかってるし、考え方もわかっているつもりなんですが、モタモタしてたり、言ったのにやってくれないとか些細な事で気持ちがざわついてしまいます。家族でもそれぞれ個性があるし、やり易いやり方も違うのは理解しているつもりなんですが、最近はイチイチ気にさわってしまい、何でこんな事するのにこんなに時間かかるのアホなんじゃないかと心の中で叫んでます。親、旦那、友人、知人、親戚皆それぞれ違うのに……私だけが我慢しているように思ってしまいます。もっと寛大に受け入れて「仕方がないな~」と思える私になりたいのですが、怒りが勝ってしまい心のコントロールが出来ません。
どうすればいいのか…自分で考えても解らなくて頼らせていただきました。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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めんどくさいという尊さ
はじめまして、ご相談拝見しました。
おそらくシー様は完璧主義者というか、なんでもテキパキとこなしてしまういわゆる「できる人」なのですね。
ここだけの話、実はわたくしもサラリーマン時代はそう自負しておりました(苦笑
なんでみんなもっとこうしてくれないの?なんでそんな間違いするの?早くできないの?自分がもう一人いたらいいのに
なんて考えたりしていました。それこそイライラして、自分で振り返っても「嫌な人間」になっていたと思います。
ではどうしたら良いでしょうか?考えを巡らせてみましょう。想像してみましょう。
もし、みんながみんなシー様と同じようになんでもテキパキとこなせる人だったらどうなるでしょうか?同じ考え方だったらどうなるでしょうか?
何も言わなくても相手の思う事がわかり、こうしてほしいと伝なくともなんでも思い通りに最小の手間と労力で終えていきます。話す必要もありません。ごめんねもありがとうもありません。
それってどうなんでしょう。きっとものすごく寂しいことになると思います。寂しくて虚しくて物足りないと思います。
そうなんです。違うから面白いんです。尊いんです。違う人同士が関わることによりそこに摩擦が生まれます。その摩擦がありがたいんです。
でも私たちは勘違いしてその摩擦がめんどくさいと思い排除したくなります。誰にも迷惑をかけず、かけられず、思い通りに1人できでる便利な社会・生活がよいと思っています。
しかし、実際は違うんです。多様性が豊かなんです。違う人間が関わるところに豊かさが生まれます。能力も思想も何もかも違うからこそ摩擦が生じます。正直めんどくさいです。
しかし実はそのめんどくささこそとっても有り難い事なんです。
こんな世の中でも「つながり」とか「絆」とかが求められているのってそういうことなんです。
なんでも機械的に便利になるよう発展してきた社会。それでも人はどこかでつながりを求めSNSなんかがもてはやされました。でもそれでも足りないんです。SNSなんか自分の都合のいい時に都合のいいように利用できます。
そうじゃないんです。生身の人間対人間の思い通りにならないめんどくさい摩擦にこそ豊かで有り難い関係があるんです。
どうぞ今一度目の前の大切な人の存在について考えてみてください。その尊さに気づいた時、相手への思いが少し変わるかもしれません。
質問者からのお礼
早速のご回答ありがとうございます。
確かに同じ人間ばっかりだと、楽しくないですね。ご回答頂いて私も今までいろんな人に支えられて来た事を忘れていました。一人一人違うからこそいいんですね。
私、かなり傲慢になっていました。自分の事ばかりでちゃんと相手をみてなかったようです。気づかせて頂いてありがとうございます。気持ちが楽になりました。