お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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単純に辛い、楽しいでは割り切れない
安居中は娑婆での生活とは違うことだらけなので、慣れるまでは身心ともに辛さがまさるように思います。慣れてきてできることが増えてくると、そのことが楽しいと感じることもあります。
過ぎたあとで振り返ってみれば身の役に立つことが多かったとも感じるので、単純に辛い、楽しいでは割り切れないところです。
最中はイロイロきついでしょうが、過ぎた後で思い出を反芻するのは楽しいことかもしれません。あまり頭の中で先取りしすぎて心配することはないかと思います。
アレは正直、修行じゃなかったと反省した。十年の修行、全否定。
※私個人の見解です。
ですが、宗派を超えて誰でも知っておくべき一大事です。
私は大本山総持寺に十年居て特別僧堂(本山の大学院)も終えて、指導職准役寮になり、師家会研修、布教師養成所も行きました。
「悟りを得たい…」
十年もいれば全体が見える。本山とはいえ魔界もある。自分が何をし、どうすることが本当に良いことなのかが見えてくる。
本山という場所は、外部から大勢の方も来られますので公務が絶えません。本来修行は檀務に追われる中で行うものではないと思います。
なぜなら仏道の修行とはこの自己をならい、自己を明らかにする「静寂な見つめ」だからです。
常に先立つ、自分自分した割り込み自己意識すら入り込む前の。我の起動以前の本来の自己に出会い、思考よりも事実優位=万法に証せられ=モノ・コトの方が首位、優位に立って、おしゃべりな吾我意識を調伏せしめて初めて修行が修行らしい形になります。
私も含め大半の方が「本山・僧堂に安居すること=修行」だと誤解をしているものです。
本山のスケジュール通り朝4時に起きて坐禅朝課~地獄の看読寮💀長廊下清掃・作務・寮内公務~日中諷経・点心・長廊下清掃・晩課・寮内公務・薬石・入浴♨夜坐、開枕。
こういうことを毎日やれば修行だと思うでしょう。一定期間やれば資格も取れますよ。多くの人が「本山・僧堂に行けば=修行をした」と思うでしょうが💀それ、間違いです。
そういうことをやっているだけなのです。
え?
そっちの安全地帯に居れば周りも世間もそう思ってますからそれでもOKですが人が救えません。肝心の仏道の成就、実証、得法、得道がないから。
日常底、日々是好日、歩歩是道場、直心是道場。禅語の理論武装でわかった顔をしても法・第一義・大事を会得しませんとただ本山で修行僧の格好をしてハードな生活してきただけ。だったらボクサーや自衛隊員の方がハード。
僧侶が真に会得すべきことは何か。自己の真相。法。道。
摂心や坐禅、独参、小参とはそのためにある。
欣求菩提、教化衆生。
参師求法、工夫坐禅。
じゃぁ本山の役尞さんなら正法・正師なのか?といえば…?
本山ブランドに甘んじれば道を失う。
私はある時から本山に居ながら、外出願を取って井上貫道老師の正法眼蔵会、参禅会に参加しました。そこで修行の何たるかがわかりました。
修行とは今、其の事に触れ本当に只そのことだけになることです。



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