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現在、”日本仏教儀礼における水の役割”について卒論テーマとして考えています。
特に、灌仏会や墓参りで水をかける行為、手水などに注目しているのですが、仏教ではなぜ水を用いた行為が清浄・供養・祈りと結びついたのでしょうか。
また、こうした水の儀礼には、仏教思想だけでなく、日本古来の祖霊信仰や民間信仰も関係しているのでしょうか。
もし宗派的な違いや歴史的背景などがあれば教えていただきたいです。
灌仏会や墓参りで水をかける行為、手水などに注目しているのですが、仏教ではなぜ水を用いた行為が清浄・供養・祈りと結びついたのでしょうか。 宗派的な違いや歴史的背景などがあれば教えていただきたいです。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご質問ありがとうございます。
私はあまり詳しくないのですがWEB版の浄土宗大辞典に下記のようにあるのでご参考まで。
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%B0%B4
また、水で清めるということと逆なのですが、毎日水浴びで自らの悪業を清めている人に対してお釈迦様が「悪業を清める為には法を浴びるのがいいよ。智慧のある者は法を浴びて体を清め戒を守って彼岸へと渡っていますよ」と説きました。
水とは命の源泉かもしれませんね
拝読させて頂きました。
大変興味深いお考えですね。あなたがおっしゃる通り様々な作法がありますね。水をもちいて心身ともに清めるという行為はとても頻繁に行われますね。
宗教的・仏教的な意味合いもありますでしょうし、習俗的な風習をあるでしょう。
詳細なことは私はわかりませんけれども、確実に大きなかかわりがあるでしょう。
日本古来でもあるでしょうし、インドや中国にもあるでしょう。
インドのガンジス川は聖なる川です。ベナレス(正式名:ヴァーラーナシー)を訪れてみるとほとんど全ての方々が川に入り身を清めておられます。
或いは日本の中でも様々な水を浴びるところがありますね。滝に打たれて心身の修行なさるところも沢山あります、様々な宗派での修行や修験道でもありますからね。
宜しければ一度現地に赴いてその姿をご覧になってみてはいかがでしょう。
きっとあなたの論文やあなたの考えや生き方に大きな影響を与えることでしょう。
あなたにとって素晴らしい体験を身をもってなさり、あなたの研究が進みますように、あなた自身が健やかにご成長なさいますように心よりお祈りさせて頂きます。
仏法の水 法の水 救いのありさまとしての水を見い出すべし
水で綺麗にならないものはない。
人間はこの身心を洗い清めるのも水。
酒を浴びても綺麗にならない。
野球の優勝イベントでビールを浴びても後で風呂に入ってシャワーで身を灌ぐ。
田んぼに入っても最後には足を洗う。
体内の大半は水分。
水が無けりゃぁ生命は生きていけない。
地水火風、みな生物を形成する大切なものの一つでしょう。
骨格、水分、エネルギー、活動。
水の功徳は計り知れません。
水はあるときは、雨となり雲ともなり、川へと注ぎ、地底湖にもとどまり、温泉にもなり、海へと注ぎ、雪や霧や雹にもなる。
水の真実の様相は何か。
そこに「法」「仏の理法」が示されているのである。
水は水という固定的な形ではない。
無限に変化し、自由自在な働きをなす。
見上げれば青い空、🌈虹にもなる。
無限の姿形となり、無限に変化し、とどまりなく、一切を洗い清めて、あらゆる生物をはぐくみ、恵みとなっている。その姿を見い出し、見通し、観とおすことである。
そうした上で透過され磨かれた真実の宝水法水は万人を清め、万人を救う法、法理、おしえとなるのである。
人は水をみながらも、その水の救いや恵みのすがたをみずにいる。
水を水だけ、水 ONLY としているから、みていながらみずにいるのである。
ならば、水に入るべし。水の真実のありようをコトバを超えて観るべし。
すると人間の情報の分類とは異なる水の真実実態をしることとなる。
するとはじめて水をみて、水を用い得る人となる。
水を用いて人々を救えるように用い得る人は、菩薩、仏、如来の働きとなる。
だから、あなたは菩提心をおこして、水を用いて多くの人をすくわんとの志を立てて記すべきなのである。
そうでなければ、水を用いて自分が上手いことをやろうという程度の人間にしかなれない。水の法恩に報い得る人とはなれない。
神仏を敬う上において水を用いるということは、神仏の心に届くよう心水きよらかにして初めて水もきよらかなになる。
僧侶が洒水をするというのも、ただ水をそそいでいるというものではない。
この世の人々、一切衆生の迷いも苦しみも垢も汚れも一切を清めて、潤いを与え、救いとなるような行いをなす、そのような用い方をする、そうした救い、清め、恵みとなるありかたをなす、なさんと心して灌ぐ菩提心の水の姿である。
衆生の心の水が清ければ菩提涅槃の光は人々の心の中に現ずるのである。
四大の水大
アルボムッレ・スマナサーラ長老と藤本晃師の著書、「アビダンマ講義シリーズ ブッダの実践心理学第1巻「物質の分析」」で、地水火風の四大についての説明がありました。
日本仏教では昔の僧侶はアビダルマ倶舎論を基礎知識として学んでいました。
南伝仏教のアビダンマと北伝仏教のアビダルマで水大についての考え方がどう違うのか私は調べていませんが、スマナサーラ長老の解説によると、四大の水大は、ウォーターの水ではなく、物質がもつエネルギーの種類の一つのようです。
水大は、物が吸い付いたり吸引したりするような作用(指を舐めて濡らしたら紙をめくりやすくなる等)のようです。
そう考えると、私は、儀式で水を使うときに、周囲のパワーをそこに集める(まとめる)ようなイメージを抱きます。
ファンタジー小説の魔法みたいで面白いですね。
火大は、激しく変化する(加速する?)ような作用だそうです。
浄土宗で行っているとある儀式では、火を表すの梵字と水を表す梵字を使います。
なんだか、火大の作用で増幅させたパワーを水大の作用でとりまとめて集中させるような感じがして、やっぱり魔法っぽいですよね。
(私の勝手な妄想ですので、実際にそのような意図がある儀式なのかはわかりません。)
とりあえず、アビダンマ(アビダルマ)は調べてみると面白いでしょうね。
質問者からのお礼
貴重なご意見ありがとうございます。
ぜひとも参考にさせていただきます。



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