人生を棒に振ってしまいました
幼少期のトラウマを克服できずに現在に至って
います。
保育園で受けた虐めが原因で、小学校入学まで
自宅に引きこもっていました。社交性と基礎体力
を養うことが無いまま義務教育を受けることに
なったわけです。
社交性に欠け、運動神経の鈍い私はクラスで
浮いた存在になり、たまに虐められることも
ありました。親戚の家に行っても従兄弟と仲良く
できず、徐々に他人と関わるのが苦痛になって
いきました。
高校では自分を変えようとしましたが、完全に
クラスで浮いてしまい、勉強もついていけなく
なって、努力することがつくづく嫌になってしまいました。
それからは自分を社会に順応させようとしなく
なりました。現実の辛さから逃げて楽な選択だけをしていきました。
現在私は48歳、年収は同世代の男性より遙かに
少ない240万、親戚の中で唯一未婚です。未だに
他人と仲良くすることができません。
自分の弱さが招いたツケということは承知して
おります。しかし自分が友人や生涯の伴侶を得る
こともできずに、貧困の中で寂しい人生を終える
ことが現実味を帯びてくると、やり切れない気持ちになります。
他人の幸せを叶えることが自分の幸せに繋がる
という考えもありますが、子供の頃から満たされ
ない気持ちを抱いたまま大人になった私には、
他人の幸せに尽くすことなどできそうにありません。
私が今後の虚しい余生を少しでも誇りを持って
生きていくことができるようになるにはどうすれば良いのでしょうか?
もうすぐ50歳の未婚男性です。 両親と同居、兄弟はいません。 臆病な性格で、社交性がゼロです。 無能なくせに、プライドだけは高いです。 人並みの幸せが欲しいです。
幸せそうな家族が妬ましい ありのままの自分を受け入れられない 他人と仲良くなれない すぐに努力を止めてしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まず、行動開始ですよ…
「棒に振ってしまった」とおっしゃいますが、あなたはまだ生きていますよ…犯罪を犯したわけでもなく、人生を棒に振っていませんよ。
「虚しい余生を少しでも誇りを持って 生きていくことができるようになる」為には…仏法を学んで下さい。出家とかしなくても、本もネットでの仏教情報もたくさんあります。
諦めの原因は情報不足・経験不足ということはありませんか。
40代であるあなたには、まだまだ時間があるように思います。もちろん年齢など関係無く何でも始めることが出来るのです。「人生 やり直しは出来ませんが、見直すことはいつでも出来ます」…ただやるかやらないかです。
何かを始める…仏教に限らず何だって良いのです。自分が好きだ、面白いと思うものを始めてみて下さい。それが見つからないなら、探して下さい。外に出て下さい、街中を探検して下さい、人に話を聞いてみて下さい。
始めましょうよ…何かが必ず変わります。
社会には自分を面白がらせてくれるものはありません(一時の「お笑い」以外に)。だから皆、面白いものを面白いことを見つけ、又は作り出しているのです…必死になって。
あなたにもそれが出来ないはずはありませんよ。
面白いこと大好きな仏様と一緒に行動開始しましょうよ…。
質問者からのお礼
覚城さま、回答ありがとうございます。
ご指摘の通り、私には経験が同世代の
人達に比べると圧倒的に不足しています。
考えてみると、私は主体的に行動した
記憶がほとんどありません。宿題や仕事など、
与えられた課題をこなした後は、ぼんやりと
時間をつぶすだけの半生でした。周りの人と
積極的に交わるなど、気の弱い自分にはでき
ませんでした。
未だに私の心は闇の中にありますが、些細
な行動が私に救いをもたらすならば、少しは
自信を持つことができるかもしれません。
今後は時間に流されるのではなく、与えら
れた時間を使って何をするのかを考えていき
たいと思います。