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highなんです

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有り難し有り難し 11

おはようございます

最近やたら気持ちが上がっています
全てを許せそうです
何も嬉しいことはないはずです
強いて挙げるならダイエットでしょうか

試しにダイエット ハイで検索したところ、見事に自分に当てはまっていました

確かに炭水化物(ご飯、麺類、パン)は暫く取っておらず、身体が軽くなってきたのですが、その反面、これらを取ったら元の体重に戻ってしまうという思いがあります
運動はしております

まだまだ痩せたいです

もうこの呪縛から逃れられないのでしょうか?

よろしくお願いいたします


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

先を❝観ない❞

カラダとアタマを分離して考えてみましょう。
まずは今の体で十分と思ってください。
これから先のもっともっとを願う事で今、現在の自分を見失うのです。
現在のあなたの体は今日の今現在しか生きていません。過去の私を顧みることなく、先の自分をアレコレ思う事はありません。
一方あなたのアタマはもっと、もっとと今の自分を「見ま」せん。先の自分を観ることで現実ではないものを相手にしています。
自分が相手にしているものが過去と未来という
日・現実的なものを相手にしていることに気づいてみると良いかもしれません。
今を生きる子度たちは事実を相手にしているので痩せていても太っていても比較や優劣が生じません。
比較や優劣は想念の世界です。
想念の世界の住人になると欲望にキリがありませんから、事実の世界を大切に生きましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます

ハイな頭で考えました
過去と未来にとらわれていました
理想を追い求めすぎていたかもしれません
今日は何故か水が温かく感じました
異常をきたしているんでしょうか

誰に指摘された訳でもありませんが、比較や優劣というより、自己満足なのです
特に目標としているものはありません

今一度考え直してみます

ありがとうございました

そういえば、覚元様の「このオール炭水化物(糖質)めが!」のマントラが頭から離れず、グラコロとは決別出来そうです

一人言でした

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ