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いつも同じ結末に

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恋愛がすきで、今まで色々な男性と付き合って来ました。のめり込み過ぎて、愛しすぎて振られた時、どうしようもなく立ちなおれなくなり、自分に自信もなくなり、睡眠不足、食欲不振で迷走してしまい、仕事を休むこともあります。うちは、もともと両親が不仲で、父がほぼ毎日母に怒鳴っている光景を目にし、私自身も父にお前はいいな、など口癖のようにつぶやかれます。看護師という責任が重い仕事も忙しいが、母も耐えて頑張っているのに、私も乗り越えなきゃと。普通に生活していても、変なストレスが毎日のしかかってきます。生きることがしんどくて、何もしたくなくなります。これは都合が悪くなった時の言い訳なのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何を拠り所として生きていますか?

ご相談拝読しました。

みさ様こんにちは。みさ様は何を拠り所として生きていますか?
「拠り所として」と言うのは「大事に」「大切に」「頼りに」といったニュアンスです。

人それぞれだと思います。お金、健康、仕事、友情、愛、恋、家族。どれも大切な事に変わりはないでしょう。しかし仏教的に言えば実はどれも頼りにならないものなのかもしれません。
なぜならばすべてのものは諸行無常。移ろい変わり、姿を変え、やがて滅します。
ですから頼りにならないものを頼りとし、それに全体重をかけて寄りかかってしまいますと、それが倒れた時にあなたも共倒れになってしまいます。

お母様が毎日お父様に怒鳴られても耐えていられるのはなぜでしょうね。もしかしたらお母様は本当に頼りになるものをご存知なのかもしれません。

お釈迦様が亡くなる前に最後に説いた教えとして「自灯明 法灯明」の教えが伝えられています。
「自らを灯(ともしび)とし、自らを拠り所として、他人を拠り所とすることなく、また法を灯とし、法を拠り所として、他を拠り所とせずして修行せよ。」

色んな解釈がありますが、ここはライトにいきましょう。
私たちは一人で生きていけません。みな助け合って生きています。今みさ様は他から頼られても大丈夫なみさ様になっているでしょうか。他を拠り所とし、頼ってばかりにはなっていないでしょうか。
まずは自分が明らかにならなければならないのかもしれません。そして自分が明らかになるためには法(教え)が大切です。
ですから私たちは仏法に自分の姿を学んでいます。仏教という知識を学んでいるのではなく、自分自身について教えられているんですね。

ストレスの多いこの社会において、都合の悪いことばかり自分に降りかかってくる気がしてしまいませんか?
ではその都合が悪いと思っている自分はいったいなんなのだ?ということがあきらかになると、どんなことがあろうと生きていけるのかもしれません。
自分があきらかになるところに、他者とバランスよく生きていく道も開けていくのかもしれません。

もし興味がありましたら仏様の教えにみさ様自身のことを学んでみてください。

私はいつも「お前は一体何を頼りにしていきているのだ?それは本当に頼りになるのか?」と仏様に問われている気がしています。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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