人の妊娠報告を素直に「おめでとう」が言えない
結婚して11年目、子供を授かりません。
40代半ばになり、ほぼあきらめている。けれど、奇跡は起こるかもと信じいる自分もいます。すでに月経もくるいはじめて、更年期が迫ってきていることを実感しています。しかし、子供を授かりたいと今でも思います。
そんな中、友人(私より若い)たちが妊娠報告をしてくれる。
けれど、それを素直に「おめでとう」という言葉が出てきません。
先に思うのは、「ああ、またかぁ。」「ああ、どうして私にはこどもがいないんだろう」と悲しい気持ちが先に来てしまい、「おめでとう」が言えません。
その言えない自分に、また落ち込みます。
この気持ちをどう整理したらよいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の役割
拝読させて頂きました。
我子供にご縁が繋がらないのですね。
私も授かることなく今に至っておりますので、よく理解できます。
子供が授かるということは、人を育てるということですよね。自分の子供を育てる縁に繋がらない可能性が、あるとしたならば。
自分の子供を育てるのではなく、部下を育てる、食物などを育てるなど、他の人や物を育てるという役割となって生まれてきているのではないのでしょうかぁ…。
今自分に課せられた人や物を、育てて生きていきませんかぁ?!(^^)
誰も悪くない
お辛い気持ち、お察し申し上げます。
私の知り合いの和尚さんにも、子宝に恵まれなかった方がいて、不妊治療の大変さ等のお話を聴かせていただいたことがあります。
なかなか上手くいかなくて辛いときに、身近に妊娠なさった方の幸せなお顔を見せられると、余計に辛くなりますよね。
でも、誰も悪くない。
あなたも悪くないし、その友人も悪くない、それは分かっているはず。
子供は授かり物、なかなかできないのは、すなわち縁がない。それだけ。
『法句経』のことば
「勝利は怨みを引き起こし
破れた者は苦しみに臥す
勝敗を捨てて寂静に入った者は
安らぎに臥す」
あなたは友人に「負けた」と考えてはいませんか?
考えていないつもりかもしれませんが、悲しい、悔しい気持ちがわき上がるのは、相手と自分を比べてしまっているからで、無意識かもしれませんが、そこに「勝ち負け」を作ってしまっているのでは?
まずは「人と比べる」ことはやめましょう。
人は人、自分は自分で妊活を頑張ればいいんです。
そうやってすっぱり割り切ってしまえば、もっと心が楽になるはずですよ。
質問者からのお礼
>林浩道和尚さま
回答ありがとうございます。
では、「ひとと比べないために」どうすべきなんでしょうか?それが知りたいです。
>西田通慧和尚さま
回答ありがとうございます。
少しばかりですが、米と野菜を作っています。
人の役に立つようなことをしたいと思っています。聴いていただいて、嬉しかった。