顔が醜く変わってしまい辛い。
数年前、顔が醜く変わってしまいました。そのせいで自殺未遂もしました。両親の励ましなどもあり何とか生きていますが、毎日が辛いです。
私の顔が悪い方に変わってしまったのは事実なのですが、周りの人たちは「変じゃない」とか「おかしくない」とか言います。
この顔になってもなお、顔を褒めてもらうこともありました。
でも私は変だと思います。醜いと思います。実際、そうだと思います。
美容整形で治すことも考えましたが、希望通りにならなかったり、余計にひどくなってしまう可能性もあるので踏み切れません。
両親からは「整形しなければいけないほど、ひどくない」と言われています。
作業所に通っていますが、作業中も顔のことで悩んでいます。
顔が醜く変わって数年、ずっと悩み続けています。
何でこうなってしまったのだろうと、悔やんだりします。嘆いています。でも顔は治りません。
今の顔になっても褒められたことがあるし、自分の顔を認めて受け入れていこうとも思うのですが、鏡や写真に映った自分の醜い部分を見ると、どうしても悩んでしまいます。
以前の自分の顔と比較して辛くなったりします。
顔が変わってから、楽しいことが無くなりました。
以前は夢や希望のようなものもありましたが、今はありません。
テレビもほとんど見なくなりました。
テレビに出ている人の顔と自分の顔を比較して辛くなるからです。
「醜い」と思うことをやめようとも思ったのですが、醜いものを見て醜いと思うのは瞬間的なことだったりするし、正直なことなので抗えません。
自分を慰めたくて、インターネットなどで顔に問題のある人たちの写真や動画などをたくさん見ました。顔が変形している人や腫瘍のある人、アザのある人など、いろいろ見ました。
こういう人たちも頑張っているのだから、自分も頑張らなければと思うのですが、辛いです。
どうしたら醜い顔で悩まなくなるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「和顔愛語」で
こんにちは。
あなたはご自分のお顔が醜いかもしれないとお悩みなのですね。
人間の目の構造は、カメラによく似ているといわれます。
カメラは、シャッターボタンを押すと正しくその情報をSDカードに収めます。写したくないものをやめたり、ゆがめたりすることはありません。一方人間の場合どうでしょう?カメラと同じ構造のはずなのに「これはきれい。もっと見ていたい」とか「これは醜い。見たくない」とかってなるよね。これはあなたの目がやっているんじゃなくて、あなたの心がそうやって見ている訳です。この論理でいくと、「みえたものはみえたままである」わけで、分け隔てがないですから「醜いも醜くないも『ない』」ってことになります。従ってあなたのお顔は醜くないです。醜く見えるのはあなたがそのような心で見ているからにすぎません。
またこの論理を逆手にとって、あなたの顔の好きなところ、チャームポイントを探して「私の顔のここが好きだな」と思えば、あなたはあなたの顔が好きになるはずです。
あなたの顔の良いところが見つかっても見つからなくても、まだ秘法があります。
それは笑顔でいることです。どんなに美人さんでもムッとした顔でいたら美しく見えません。でもいつも笑顔でいれば、必ず人気者になれます。笑顔のこつは、口角(口の両端)を上に向ける事です。鏡を見ながら練習しましょう。
「和顔」(わげん)という言葉があります。やさしい顔、という意味です。「愛語」(あいご)(やさしい言葉)とセットで使われ「和顔愛語」といいます。
どうか「和顔愛語」で、やさしい笑顔でやさしい言葉を使い、人の悪口を言わず、自分の事も過剰に卑下せずお過ごしください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。自分の顔はすきで
※途中で投稿してしまいました。
自分の顔を見て可愛いとか綺麗だと思うこともありますが、醜いとか気持ち悪いと思うこともあります。醜い部分があることは事実なので、それは自覚しておかなければと思っています。
和顔愛語は実行できている方だと思います。
ただ、いくら他人と笑顔で会話しても、顔に不安がある気持ちは消えません。