行けないpartⅡ
救急車のお話、確かに午前中、載せました。実際のお坊さんに直接、載せた救急車のお話をしたら、馬鹿馬鹿しい、と言われてしまったので自信がなくなり書き換えました。
昨日から、ハスノハでの、いろいろな「死」にまつわる問い、命のやり取りを拝見致しました。読んだからこそ救急車の話を載せました。
私が今、生きているのは、どなたかがハスノハに辛いことをお坊さんにご相談された勇気があったから、私は大事な事を思い出した。頑張ろう!と思えたから。
「死」にまつわる投稿の中に救急車の掲載をすれば誰かの「生きる希望」に少しでもなるのでは、と思ったから。「あなたが必要なんです」と言いたいから。
だけど、鼻で笑うほど馬鹿馬鹿しいんですか?
消えそうな命の炎を小さな手で、勇気で繋ぐ事は尊いと思うの。私は消防でそう教えられたから。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうしたの?
こんばんは。また遅くなってしまってごめんなさい。また、一旦削除した話を私が蒸し返すようでごめんなさい。
細かくは覚えていないけれど、あなたは昨日、倒れている人を介抱して、救急車にも同乗して、病院でも付き添ったんでしょう?それを聞いて「馬鹿馬鹿しい」というのは、お坊さんでなくともお馬鹿さんです。そんなの、お坊さんか否かに関係ない。「じゃ、あんたの奥さんが倒れていて誰かに介抱して貰っても、同じ事いうの?」ってなことです。
残念ながら、「坊さんはみな通底する考えを持っている」というのは幻です。たいへん申し訳ない。それこそ、hasunohaのカテゴリにもありますよね、「お坊さん」。そして「信じられない!」式の話が。
ともあれね。
貴女の行為は尊いと思いますよ。面倒がって見て見ぬ振りをする人だっているだろうに、善意で行動したんだから。私は、貴女の行動を肯定します。
でもね、それは病院で終わった話。その彼女、恐らく貴女にお礼を言ってくれたでしょう?そこで完結する話なのです。貴女も別の問いで書いているように、いつまでも拘るものではない。
ご存じか知りませんが、人は「良いことをした後は、バランスをとるかのように、その後の自分の行動について、”ま、いっか”と甘くなる傾向がある」のです(心理学の実験で証明済み)。だから多分、「良いことも、それで一区切り」を戒める言葉があるのですよ。
その「お坊さん」から見れば、「鼻で笑っちゃうほど」の事かも知れません。けれど、あなたはそのお坊さんに認められたい訳ではないでしょう?そのご婦人が回復すれば、それで良かったのでしょう?「笑われたって構わない。私は自分の信念で行動するんだ!」憧れるようなセリフですが、今こそ貴女に送ります。実のところ、私がこうやって返信しなくても、あなたの行いの尊さは、全く傷つけられるものではないのです。
…ただね。「過去の苦しみに、いつまでも執着しない」のと「過去の善行に、いつまでも執着しない」は、同じ事かも知れませんよ、貴女も気づいているかも知れないけれど。
質問者からのお礼
光園寺 佐藤 様
有り難うございます。
そのお坊さんから頂いた御言葉の中に、
「マイナスにもプラスにも振り回されることなく」「客観的に物事をみる」と教えて頂きました。
まさに、それですね。
こんな事を書くのは傲慢かもしれませんが、削除した中で、皆様これだけは知ってて!があります。
【消防で命のやり取りを知っている私からあなた様へ】
救急車に杖を昇る白ヘビが描かれています。これは、スターオブライフと言い命の象徴です。この車の中で命のやり取りが行われています。という印です。