回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その通り。
「客観的な正解」、がある問題なんざ、学校にしかありません。学校生活の全てに正解がある、というのでもなし。採点されて成績がつくものだけが、「正解」がある。それだって、美術だの体育には「正解」はなさそうだし。
…というと淋しいので、「正解」とは何か?どういう物・事を正解というのか、考えてみてはいかがでしょうか?
…って、もう気づいていますよね、「人の数だけ正解がある」。お釈迦様のお説教で「自灯明・法灯明」というのがあります。「自らをたよりにせよ。法(お釈迦様の説いたこと)をたよりにせよ」なんですが、これって仏教の修行をした人に向けて言っているのがポイントだと思います。少なくとも人間にとっての毒とは何か?を学んでいる人。ここを無視して「俺は俺だ!俺のやりたいことをやるんだ!」と言ったらアウトです。
…だから、お経を学ぶのです。「お釈迦様は、こんな話をされたんだよ」というのを。それに照らして、自分はどうか。沿った行動ができているか。聞いた話ですが、ブータンでは「仏教とは、行動規範」と捉えられているそうですよ。
我々も迷った時、「お釈迦様の教えではこう。祖師(開祖)さんの言葉はこう。だから選択すべきはこれ」という思考回路ができます。仏教を学んでいると、迷わなくなるのは、こういう仕組みがあると思います。
大丈夫です。
「選んだ方が正解です」
正解か間違いがあるのではなく、
選んだものを「正解にしていくのか」「間違いにしていくのか」があるだけです。
人は誰でもそのときに最良の選択をしています。
まず一歩踏み出すこと。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
自分の選んだ道をしっかり歩いていきたいです。
お返事ありがとうございます。
ありがとうございます。
踏み出します。
お返事ありがとうございます。