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親の相手のこと

回答数回答 2
有り難し有り難し 27

母が今年、亡くなりました

同居人であった男性がいます

多分、60以上70近い年齢です

男性は自分の親、姉を亡くし
別れた娘などとも会っておらず、一人身です

私はずっと小さい頃から男性に母を取られた気持ちがあって複雑でした

でもその反面で一人って物凄く寂しいじゃないですか?

誰も家に遊びにきてくれない

電話もこない

そう思うと、県外に住んでるんですけど正月くらい電話してもいいのかな・・なんて思って
迷惑でしょうか?

母が生きてた時は病気の介護などで揉めた部分があります
実の娘なのに面倒も見ないのか?と帰省もしないので色々とストレスがあったと思います
なので関わりたくないと思ってるかもしれないかも

電話も何を話したらいいかわからない

やっぱしない方がいいのかな?

母は離婚していて、その後、男性と出会いました

私が物心ついた時には男性がいました

私と母は祖父母の家で暮らしてましたが、母は仕事後ほとんど男性の家に行って帰りは遅いとかでした

伯母は小さい私を置いて可哀想と母に不満があったようで、また男性のことも当時からよく思っていなかったようです

学生の頃は遅刻しそうで車で送ってもらったこともあり、男性は近くに住んでいましたがあまり関わりはありません

5年前位に祖父母の家では暮らせなくなり私と住む話をしたら母は同居人の家で暮らし始めました

それから病気が発覚しました

男性は母の身の回りの世話をしてくれたので謝礼金も払いましたが、あくまで男性は同居人と考えて貰えればと・・

葬儀後はこれで男性とはもう関わりはないと私達親族は思ってましたが
私は一緒に出掛けた事もあるので親戚のオジサンのような存在といえばいいのか・・なので気になる所があるのです

今後、関わりを持たないべきなのか、どうしたらいいのか悩みます

意見を貰えたら嬉しいです!


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

情報よりもその人そのものを見極める目を大切に。

申し訳ありませんが、その人がどういう人であるのかわからないので、何とも言いようがありません。
お世話になったということがある程度の関係であるのか、事実上、家族状態だったのか。
真の家族関係状態であれば、むしろ今も関係が続いていたはずでしょう。
何を申し上げても、こういう問題はを不快な思いにさせてしまうので、一般論としてお聴き留めください。
基本は利害関係のないお気持ち程度の付き合い程度に留めておいた方がよろしいかと。
それ以上はあなたの大人のご判断です。
ぶっちゃけ、私は家族血縁間ではない人たち同士での人間関係のおぞましい💀ドロ沼利害損得関係を嫌という程観てきましたので、本当の家族関係ではない人にはいくらイイ人に見えても利用されない様にご用心なさいませ、としか申し上げようがありません。
正直、わからんのです。その人の人間性も、性格も本性も。あなたもその人の本当の人間性はあなたが見極めるよりほかありません。
もちろん、そんな人ではないと祈りますが、誰でも大丈夫ですよとも申し上げられません。
私はその方を存じ上げませんので、判断するのはあなたです。
そのご本人様の人間性を見抜かない限りは何とも申し上げれられません。本当に。
一般論ですが、その男性は「お母さんとの情愛関係」があって籍にも入らなかった。
籍に入らなかったのは、お母さんのあなたへのメッセージでもあるかと思います。
あなたとの血縁関係はありません。
ここでのやり取りは単なる文字情報だけですので、その男性が一体どういう方であるのか全く想像がつきません。
ただ、その男性の方があなたを本当の家族のように「想っていたのであれば、すでにそういうアクションがあったはずでしょう。
人間、これから先、生きていく主人公はあなた自身です。
お母さんも、そのおじさんも、命の主人公はみなそれぞれ自分です。
人間は生きていく中で、想念の世界に住するようになっていく、良し悪しを論ずるようになり、自分がみじめな思いを感じたり、不平や不満、苦しみ生ずる。
仏道を歩むという事は、あれこれと想念や苦しみの世界を生きることではなく、事実をそのままに生きることです。
つまり実際のご本人様とあなたとの関わりの中でしか判断できません。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

よく考えた上での連絡なら宜しいのではないでしょうか。

拝読させて頂きました。
桃花さんは優しい方ですね。

桃花さんなりの揺れ動く気持ちがお有りかと思いますが、ご機嫌伺いの電話くらいは良いかもしれませんね。
正月を迎えましたがいかがお過ごしですか?お変わり有りませんか?と言った事をお話しするだけでも宜しいんじゃないですか?相手方としたら、桃花さんが自分を気にかけてくれて連絡をくれたという事だけでも、心暖まる事じゃないかなと思うんですけどね。
今の状況になってまで、「実の娘なのにろくに面倒も見ないで」という事を攻撃的にはつっついては来ないと思うんですけどね。桃花さんが気になるようでしたら、「今は、あの時ろくに会いにも行けず申し訳なく思っております。」という事をお伝えしても宜しいと思いますし。
お母様の看病のお礼の気持ちを伝えながら、ご機嫌伺いの電話をしてみる分には宜しいと思います。それによって、お二人のわだかまりみたいな気持ちが少しでも解けていけばいいですね。
ただ、連絡を取るという事は、一度連絡して終わりという訳にもいかなく事も考えられますので、今後桃花さん自体がどう接していきたいのか、どうゆう距離感でいたいのか、よくお考えになった上で連絡して下さいね!
遠い親戚のおじさんくらいの距離で、たまにご機嫌伺いしてみる関係くらいが宜しいんですかね。
どうなるにせよ、桃花さんの、相手方が1人で寂しいんじゃないか、という心遣いは、素敵な愛情だと思いますよ!優しい方です。

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おきもち

岩手県内陸郊外の曹洞宗鷲連寺にて副住職を務めております。 世の中にはいろんな方が様々な悩みを抱えながら必死に生きています。その苦悩に共に向き合い、共に考えて、共有出来たらと思います。 最高に分かりやすい仏教伝道を目指して日々精進しております。 盛岡市内にてマインドフルネスセミナーを開催しております。詳しい内容、日程等はHPをご覧下さい kakurai-imakoko.jimdo.com

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