hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

ひとの暴言

回答数回答 2
有り難し有り難し 26

ある動物のサイトで回答していたのですがやめたくなりました
そのサイトは飼い主さんどうしのサイトで質問したり回答したり出来るのですが私が回答するとその意見を批判してくるひとがいて人のメールに言ってきて困るのです人には色々な意見があると思います私以外の人にも言ってるようです。その人は動物の資格持っているみたいです
なのでそのサイトは回答がその人や数人しか回答してません
私は何も資格はもってないので言い返すことができません
そのサイト辞めるべきですか


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ワンワン ニャンニャン フギャー!😺🐕

人間って不思議ですね。
うちの境内にはネコやニワトリがケッコウいるざます。
しょっちゅうケンカしているのですが、横で庭掃きしている私にはまったく彼等の声が作用しません。
もちろん、私に向けられたものではないからかもしれませんが、大事なポイントがあるのです。
犬や猫がいくら吠えても平気なのに人間が吠えてくるとすぐに問題になるって面白いと思いませんか。
もちろん、猫に引っかかれて犬に噛まれたり人に吠えられたら問題にする人は多いでしょうが、犬や猫が吠えても問題にはならないのです。
こういう所って❝不思議にするべき所❞かもしれません。
【わたしのこと化してしまっていないか】
車のクラクションも同じです。
誰に向けられたのかはわかりませんが、自分に向けて鳴らされたと思うことで、私にとっての問題が生ずるのです。
私は1か月間SNS断食をしていたのですが、ネットをやめてみると岡目八目、山頂から谷底の争いを遠目で眺めるが如し、実に私的な距離感が無くなって冷静に物事の本質を眺められるものです。
どんなひどい誹謗中傷コメントも❝自分のことにならない❞のです。
温度が下がるのです。
ネットのコメントや書き込みも、所詮他人様独自目線。
住んでいる場所も目の前ではありません。
どこの🐴の骨か犬のシッポか猫の肉球かもわからない人からのカキコもありますニャ。
その人との心理的距離が近すぎることで問題が生ずるのです。
逆視点で申し上げれば、その人の事をよく知らないという事も問題です。本当は相互理解が足りないために距離が遠いのです。それがお互いに不安を生じさせているのです。
だからこそ、受け取る方によっては猛反発なコメントがあるもんなのです。
さて、あらためてタイトルを見返してみてください。
その人のコメントはそんな事を言っているのです。
ここはオラがマーキングしたにゃ!
縄張り争いでしょうか。
オレの意見が正しいワン!
そんな程度なのです。
それを思いっきり「自分のこと化」していたからこそ、ダメージを受けてしまったのかもしれません。
肉球と爪は近い所にあります。
本当はプ二プ二した気持ちがあるのかもしれません。
ネコ科なら相手の喉を鳴らしてあげることです。
犬系なら尻尾を振ること、下から手を差し伸べる事です。
上手な距離感と、相手のコメントの真意を達観視し、扱い上手になりましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

基本的人権の尊重するサイトで

拝読させて頂きました。それはイヤなことですね。せっかく回答なさっているのに批判してくる方がいるのではやる気もなくなりますよね。
どの様な運営がなされているサイトなのかはわからないですが、お互いの意見や回答を尊重することや人を誹謗中傷しないこと等の基本的な人としてのルールを守ることがないならば難しいと思います。

ただでさえネット上では人を人とも思わない、人を傷つけるるような暴言が書かれることもあります。その様なことは罪です、悪です。

その様なお互いが基本的人権の尊重をできるお互いを理解し思いやりながらコミュニケーションすることができるサイトの方が良いと思います。

あなたのアドバイスが人の為に役立てられてあなた自身も気分良く回答なさることができますようにとお考えなされてご判断してくださいね。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

一向寺のお坊さんありがとうございました。やはりそのサイトは辞める事にしました。そういう人がいるのではまた文句など言って来るのでやって行けないと思いました。私の回答にいいねしてくれた人には悪いと思ったのですが仕方がなっかたです。一向寺のお坊さんのおかげで決心がつきました。
本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ