生きるために、受け入れること
こんばんは。
いつも、ありがとうございます。
ひとりで生きて行くには辛すぎるなぁと、思うことが多く、ひどく落ち込むことが増えた気がします。
世の中の夫婦のバランスは、それぞれなのでしょう。私はたぶん、かなり主人に依存していたのだと思います。亡くなったから、存在が大きく感じるということではなく、ほんとに大好きでした。
主人の好きなところも嫌いなところもたくさんあります。まだまだ若いのだからと再婚を勧める人もいますが、私にはそれでも主人だけなのです。どこにパパを越える人がいるのかと思ってしまいます。ほんとに素敵な人でした。
パパが素敵なだけでなく、こんな私を選んでくれたことです。私の嫌な部分も、嫌な部分として受け入れていてくれました。
一人で生きていなくてはならない不安と、誰かに甘えたい気持ちと、でもそんな人パパ以外ありえないという確信と、
自分は主人の死をどう受け入れて生きていくのが一番いいのかわからなくなってしまいました。いままでは曖昧が良かったのです。どこかに出かけているとか、たまにいつもそばにいてくれてるとか。
それが、最近はどうもうまく整理できなくて、重くしまい込んだ現実と悲しみが溢れ出るようになってしまいました。
子供たちの為に、まずは生活環境を整えて新しい環境でのスタートを切らせて、少しずつ馴染めることを、第一にやってきたので、最近になり順番を間違えてしまったのかなとおもってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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失った身体の一部は永遠に戻らない
ゆこさん
そうですね、子供さんのことや現実の生活のことを第一に頑張ってきたので、自分の悲しみをしまい込んでいたのでしょう。母親として順番を逆にしていたので、いまやっとしまい込んでいた悲しみの声が聴こえるようになってきたのだと思います。
こんなつらく深い悲しみをそんなに簡単に受け入れることなどできないでしょう。それでいいのです。悲しみの声を聴いて下さい。それがとても大事なことです。
きっと外では元気にふるまっているのだと思います。それはそれで仕方がないことです。人に気を使われるより楽ですからね。でも自分に戻る時間には自分のこころのほんとうの声を聴いてください。自分のこころの奥にはほんとうの自分の居場所があります。そこで自分の悲しみと対話してください。
こんなたとえは適切ではないかもしれませんが、ゆこさんは自分の身体の一部を失ってしまったような気がするのではないでしょうか。手を失ったらその手はもう2度と生えてきません。義手をつければ見た目はわからないし、手の代わりはしてくれるけど、自分の手は戻ってきません。
ゆこさんにとってご主人は身体の一部、右腕のようなもの。再婚はできるかもしれないけど、それは義手であり失ったほんとうの右手は永遠に戻らないという絶対的な真実・・・。私にはゆこさんにかける言葉はみつかりません。だからお役にはたてないので、あなたの気持ちや悲しみをこんなふうに感じてみました。
すこしでも悲しみがうすまりますようお祈りさせていただきます。仙如
質問者からのお礼
仙如様
お返事ありがとうございました。
私の気持ちに寄り添っていただき、ありがとうございます。私はこれからも、こんな風に過ごしていくのだなぁと思います。
大切にしたいもの、代わりにはならないこと、貫きたいこと、失いたくないもの。
自分が一番自然に居られる受け入れ方で、これからも主人と一緒に生きて行ければいいのかなと思いました。
ありがとうございました。