どうして
私は身内以外には隠していることがあります。
私は武人です。7年くらい剣道をやっていました。なぜかしらないけど自分の意思で野球をさせたかった厳しい親にはじめて反抗してまで理由まもよくわからずはじめ、でも嫌になって何度も辞めてはなぜかまたはじめる。
色々な理由で剣道に対して疑念をもち始めたのが22歳の頃、色々な理由がある中の1つが、喧嘩も経験し、人が斬りたいわけではなく、人殺しをしようとも当然思わない。今の時代に剣術、武術を必要としない中で、剣道ではやられてしまう。礼法の本当の意味もしらないくせにやたら見た目の格好だの形式だのにうるさい。地元の剣道連盟への恩義で後半は剣道をやっていたのですが私を彼らが拒絶しはじめたのに気づいた私は憤りを感じ、剣道をやめました。
なぜかそれでも剣を捨てられず居合道を始め、その先生に見込んでいただき、今はその流派の、絶対に技を口外しない約束を交わし、実戦的な稽古をさせていただいています。やっと私のもののふとしての道しるべができて四年になります。 その実戦的な稽古をするようになってから、私が居合をしていることすらも隠すようになりました。前置きが長くなり申し訳ありませんが私が気になっているのが、どうして剣、武術にこだわるのか。私は言わばチャラ男と言われるような男です。今は嫁をもらい、子供もでき、少しは真っ当になり、家族を守るには剣より金であるのにもかかわらずどうして。
こんなことはだれにも相談できるものではなく、和尚様方の様々なご意見、解釈をお聞かせいただけませんでしょうか。
これに関連して。メカとか機械とかもともとすぎなのですがなぜか、零式艦上戦闘機にだけは特別な思入れがあり、映像や画像をみるだけで血が奮い立ちます。それも余裕がございましたらお聞かせください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは武人を生涯続けていくのかと感じました。
打ち込めることが自分にあるのは素敵な事です。
何度やめても、でも剣の道から離れられない.....
私が思うに、あなたの人生にとって剣の道は生涯の課題かも知れませんね。
あなたが好きと思おうがそうでなかろうが。
形や形式・見た目の美しさは、ある面では大切な事だと私は思います。
初心者にとって、なくてはならないものではないのでしょうか。
反面、熟達者にとっては、取るに足らないものかも知れません。
武道というものが、いかに喧嘩の中で無意味かという事を理解した上で、、、
今、実戦的な稽古を修練しておられるとの事ですが、様々な葛藤を乗り越えてきたからこそ、面白く生きがいを感じておられるのでしょう。
武人であることを身内にしか明かせないという気持ちも解りますよ。
それだけ、剣と向き合われているということです。
確かに剣より貯金する方が現実的です。
しかしそれは、武人で生きることの意味が解らない方のご意見ではないでしょうか。
今をどのように取り組むことが重要であり、見た目を気にする事に意味はありません。
しっかりと目の前の課題をこなしていって下さい。
零戦に対する個人的な思いです。
戦闘機という視点から見れば、軽量で小回りが利く分、扱いが難しい上、熟達したパイロットしか扱えない、魅力的な飛行機です。
しかし、戦争の道具として考えれば、悲しさしかありません。
紫電改という戦闘機の展示を見ましたが、「平和」という文字しか頭に浮かびませんでした。
暴力を突き詰めていくと、恨みと悲しさしか残りませんね。
質問者からのお礼
回答いただき、誠にありがとうございます。
生涯かかっても私が剣を取る理由は見つからないかもしれない。あと仏様がいるとするなら弱くも狂犬のような私にあえて力を与えたということはそれを持つものの責任をあたえ、私に落ちつき、優しさを持つように仕向けていただいたのだと私なりに解釈いたしました。