人生における試練の回答を求めます。回答受付中
私は、天国や地獄はこの世界に存在すると考えています。
裕福で安全な環境は天国に近く、貧しい環境や困難な状況は地獄に近いと感じています。
また、死後の世界は輪廻転生であり、前世で努力や学びを積んだ魂は、次に生まれる時により良い環境に生まれる、つまり魂のステージが上がると考えています。
この考え方では、知的な障害や生まれつきの能力差も、倫理や善悪を抜きにすれば、魂のステージの現れとして理解できると思っています。
こんなことを考え出したのは私が元々思っていたこともありますが、
さらに、私は今年の1月に仕事を辞め、父はがん、母は顔面麻痺という状況になりました。
このように自分や家族に困難が重なった場合、これは人生における試練と考えるべきでしょうか。
いくつか聞きたいのは、
現世の環境を天国・地獄として捉え、輪廻転生で魂のステージが反映されるという考え方は、仏教的にどう理解できますか?
前世の行いが今世の環境や能力に反映されるという考え方は、仏教の教えと整合しますか?
自分や家族に困難が重なった場合、それは試練として受け止めることができますか?
試練として受け止める場合、心構えや行動はどのように整えるのがよいでしょうか?
できればでいいのでお願い足します。
家族以外の全ての人間についての落胆と怒り
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私はこう捉えています。
こんばんは、にゃんこ先生。
いくつかの問いを挙げておいでですので、分けてお答えしますね。もちろん「私はこう考えます」ですので、同意されるかはご自由ですよ。
①現世には、天国も地獄も存在しない。
貴方は、人間が人間に生まれ変わることを想定されていますが、生まれ変わりの範囲はもっと広いです。「裕福で安全」は、例えば象に生まれ変わったあなたにとってどうですか?それを考えると、「人間にとって、天国のようと見紛うような場所が、現世にはある」ということに過ぎないでしょう。
②前世の行いが〜は、整合すると考えます。業ということですね。ただ気をつけて欲しいのは、業は一対一のような単純な評価制度ではなく、無数の因縁の絡み合いとして現れるものです。
③試練としての受け止め
試練、というのが「解決すべき課題であり、何らか自身の変化を伴って理解或いは解決するもの、と捉える」という意味であれば、捉えられます。
ただしこれは、「対象をどう捉えるか」であって解釈の話ですから、本人によって如何様にもフリーハンドであると言えます。「ピンチはピンチ」と言うか「ピンチはチャンス」と言うかの違いで、そこは発する人の自由です。
④心構えや行動
八正道によるべきです。起きていること、その縁起(しくみ)をよく観察する。それに応じて自分の対処を決めていく、ということです(撤退も含む)。
ここhasunohaでの問答を読んでいるとお気付きと思いますが、問いの具体性や捉え方の正しさによって、出てくる回答も変わりますよね。私見ですが、「問題をどう捉えるか」の柔軟性と汎用性において、仏教は優れていると思います。
如何でしょうか。


