自分の気持ちを見失う
私は既婚者です
でも、お付き合いして2年半になる人がいます
相手も既婚者です
私にはもう子供は結婚し、孫もいて、配偶者も私を大切にしてくれています
彼の末の子供は高校生です
奥様とも特に仲が悪いわけでもありません
お互い家庭を守りながら励まし合い、支え合える関係でいようと言っています
とはいえ、体の関係もあります
自分が間違ったことをしていると充分わかっているので、何度か別れることも考えましたが、なかなか想いを断ち切る事ができません
いつか2人とも独身になったら一緒になろう、私を愛していると言ってくれるまっすぐな気持ちにもこたえたいと思う
だけど、そんな途方もない未来の話に向かって進む信念もありません
私はただ寂しいだけなのかもしれません
気持ちの整理がつかずに自問自答の毎日です
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは愛か執着か
ご相談拝読しました。
>自分が間違ったことをしていると充分わかっているので、何度か別れることも考えましたが、なかなか想いを断ち切る事ができません
これが全てでしょう。私たちがとやかく言わずともよくお分かりでしょう。
そしてここに相談したという事は、断ち切るために一歩踏み出したと言ってもよいのではないでしょうか。
>私を愛していると言ってくれるまっすぐな気持ちにもこたえたいと思う
では、お気持ちにこたえようとあなたが家庭を捨てて、相手のところに行ったらどうなるでしょうか。結果は見えているのではないでしょうか。
「いやいや、ちょっと待ってくれ。それは困る。」となるのではないでしょうか。
「愛する」とはそんな自分に都合のいい範囲で責任を負わずに相手と付き合うことではないでしょう。それは愛ではなく、お互いの「利害の一致」ではないでしょうか。
秋桜様とお相手が都合のいい利益を得ている陰で傷ついている方がいることも忘れずに。
ぬるま湯は心地よく、抜け出しがたいですが、本当のあたたかさを見えなくさせてしまっているのかもしれません。
「愛欲に駆り立てられた人々は、わなにかかった兎のようにばたばたする。束縛の絆にしばられ執着になずみ、永いあいだくりかえし苦悩を受ける。」ダンマパダ342
罠は実はもう外れているのです。あとは自分の足で外へ踏み出すのみです。
質問者からのお礼
お答えいただきありがとうございました。
お返事が遅くなり申し訳けありません。
お答えいただいたにもかかわらず、まだ自分の気持ちを断ち切ることはできていません。
ですが、お言葉の通り私は罠にかかってバタバタしているに過ぎませんね。
一日も早く前を向いていけるように努力します。
本当の幸せを無くしてしまう前に。