女同士のめんどくささ
赤の他人(女)に中傷されてイライラします。
買い物中も定員にジロジロ見られて、ばかにされたり。普通にあります。暇なのかなんなのか。
なんでこの人たちは仕事をしないのか、お客さんをバカにするなんてマイナスになるようなことを平気でするのか。わかりません。
なんで(一部の)女性は赤の他人を中傷して自分の方が優れている!アピールをするんでしょうか。赤の他人なんて、どうでもよくないですか。そんなに自信がないのでしょうか。
凄く迷惑です。
なんで仕事に私情を持ち込むのか。体調が悪いなら仕方ないですが。。。
スーパーに行っても、レジはガラガラなのにセルフレジが行列なのは、他人にやってもらうより自分の方が正確だし不愉快な思いをしないからなのかな?と感じています。
男性の方が感情を入れずに黙々とお会計をしてくれるので、受付、スーパー、などもっと採用してほしいと常に思っています。
さすがに赤の他人の女性を中傷して嫌がらせはしてこないですよ。
人のあら探しをしているおばちゃん、仕事中こちらを凝視して一人でぶつぶつ言ってるおばちゃん、仕事してほしい、迷惑です。
できることなら私も男性に生まれて仕事だけやって生きたかったです。
とてもうらやましいです。
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他人の過失をみるなかれ
もずくさん
そうですね、他人をみていると不快なことがいっぱいありますね。
どうして他人は自分の思うようになってくれないのでしょうか。
それは、きっと大昔も今と変わりなく時代や国が変わっても、人は同じように他人の言動をみてはイライラしたり不快に思っていたのでしょうね。残念ながら男に生まれても同じです。仕事だけやっていても職場には不快な人が必ずいるでしょう。
だからお釈迦さまはこんな言葉を残しています。
他人の過失をみるなかれ。
他人のしたこと、しなかったことをみるな。
ただ、自分のしたこと、しなかったことだけをみよ。『ダンマパダ50』
私たちは他人の過失にはよく気がつきます。他人の言ったこと、やったことには敏感で特に自分にかけられた迷惑には過剰に反応します。いつまでも覚えています。でも私たちは自分が他人に言ったこと、やったことには意外と気づかず、気づいていても人のせいにしたりします。
みんなそういうこころの癖をもっているのです。だからお釈迦様は、私たちに厳しい戒めの言葉を説いたのです。
仏教では人として大切なのは「その人の行い」であると教えています。人の価値は家柄、学歴、財産などではなく「行為」によって問われます。だから、他人のことをみるのではなく自分をみつめて生きていかなくてはならないのです。
だれもがみんな人を批判してしまう癖=心の弱さをもっています。それを乗り越えていくのが仏教徒の在り方です。私も日々、人を批判する癖と戦っています。とても難しいことですが、お釈迦様の言葉を胸に自分をみつめ反省しながら精進していきしょう。仙如