宗教的?価値観と女性
ずっと心の重荷になっていることを相談させてください。
私の解釈ですが、人間が成長・修行するには方向性があって、例えば言葉よりも行動を大切にするとか、他者を大切にするとかだったりがあると思います。しかし、全員ではありませんが多くの女性はその反対を行って、行動よりも言葉、1つの大きなことよりも多くの些細な事を評価したりします。恋人や仲間と狭い道を並んでゆっくり歩くというのも、かえってそうすることが愛情表現で他の人のことも完全無視できるという論理みたいです。これは1つの例ですが、こういう真逆をいくような人が多いように思います。女性が社会で大手を振るうようになって、そういう考え方も主流を占めてしまっています。そういうこともあって昔の宗教は女性を警戒していたと思うのですが、今の宗教はどうお考えでしょうか。すべての女性が貶められていた時代に、こんな素晴らしい女性もいますよ的なことは分かります。今は逆にすべての女性は素晴らしいですよ的なベースになっておかしくありませんか。そのせいで重荷がますます重荷になっていってる気がします。宗教はなぜそれを容認するのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
時代錯誤では?
あなたのご相談の最初は「人間」が主語ですがその後は全て「女性」ですね。つまりあなたは女性の社会的地位についてご自身では重荷に感じるという事なのでしょうか。ご相談の意図をそのように解釈させていただくならば、あなたは男尊女卑の思想をお持ちなのでしょうか?
何故なら、女性が社会で大手を振るうようになってとお書きだからです。
もしも、あなたがそのようにお考えならば根本的にこのご相談に答える僧侶はいないと思います。
理由は女性も男性も同じ人間として対等であり平等に扱われるべきだからです。
確かに封建社会の時代は男尊女卑の風潮はありました。でも昔の宗教はとお書きですが鎌倉時代は女性は成仏出来ないという風潮の中にあって親鸞聖人は女性も阿弥陀仏の救いの対象であり成仏出来ることを示されました。そう言う意味では時代背景から考えると人間の平等性を1000年前に認識している人もいたと言うことです。
あなたが重荷になると表現されている内容は女性が大手を振るうことが許し難いからなのでしょうか。そうであれば宗教がどう考えるかという問題以前の話しになります。あなた自身が時代錯誤としか言えません。
ご相談内容が私の読み違いならばご容赦ください。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
言葉足らずで申し訳ありません。
人間の前に女性が先に来る現状だと認識しています。
女性だから、女心が分かっていないetc。
女性である前に人間だろと逆に思っています。