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宗教のトラウマ

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有り難し有り難し 8

夫が結婚前から○とゆうお寺に入信していました。○○もその前から入っていたようです。どちらも結婚してから知り、その後夫婦間でトラブルになり○○は辞めてもらいましたが、○に関しても、研修に言ってくれだのありえない言動が多々あり辞めてもらいました。

ですが、6年後、○は辞めてないことが判明しました。活動してないから、いいじゃないか!!と責められ、私も責めました。
親族巻き込んで大騒ぎになり、活動してないからとゆう割には、将来は○のお墓へ家族で入る構想や空に仏様が見えるからこれは本物なのだ...その他恐らくほとんどの方がえっ....と思うような事を皆の前で言い放ちました。夫の親族さえもまたか....こいつはとゆう感じでした。以前にも同じようなことで離婚しているためです。

結果的に、辞めてないことが判明してから数ヶ月かけて、周りは離婚したほうがとゆうアドバイスの人が夫の親族含めて言われましたが、小さな子もいる、夫のことを嫌いな訳ではない、ここで夫婦を辞める訳にはいかないと思い夫の話を聞き、毎日のように、ご正念が抜かれて皆地獄行きだの、親族に不幸が起こるだの、死んだら皆離れ離れ、死体が腐らないなどetc.
聞いて吐き出してもらいました。
その宗教の勧誘者の方とも、話しましたが、何も私は感化されず、むしろ、本当に辞めたら死んだら家族バラバラですよetc.の繰り返しを言われ、あ~この人と話しても無理だなぁと感じました。

現在はそれから数ヶ月経っておりますが、夫は脱退届けを出してもらい完全に辞めています。
ですが、辞める際に、もう地獄行き、家族バラバラ、あの世では一緒になれない、など散々罵られました。

それが一度ならずとも二度夫に裏切られたように感じそれがずっとトラウマになっており、関係ないようですが、第2子も躊躇しています。
ですが、一緒にやって行きたい気持ちがあるので離婚を選ばなかったので、頑張らなくてはとゆう
思いとまた裏切られたらとゆう思いが時折、交差してしまい、最近それに関するとてつもない夢を見てしまい、夫を脱退してから始めて責めてしまいました。これは、完全に私がいけないと思います。案の定、夫はキレてしまいました。

私は今後をどのように生きていけば良いのでしょうか?本当に自信を喪失しています。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その宗教は私を幸せにしてくれてないじゃないの

その薬は効くと書いてあるのに治っていない。
その薬は痩せると書いてあるのに太っている。
その薬は目に良いというのに視力が落ちている。
ご主人もあなたも「結果」に眼が向いていません。
あなたや家族を優先しないならば、その団体は宗教でもなんでもなくただのカルト、洗脳教団。あなたを優先させないその人ももはや人間性を奪われたロボットですからあなたも前の奧さん同様、今後の選択を真剣に考える必要があります。
やめさせるか、洗脳を解くか、離婚するかです。
宗教の名前をかたってお金を集める活動をしている組織、もしくはその組織の中のお金稼ぎ部門です。
以下を問いかけて、目を覚まさせてください。
「あなたが宗教に入るのは何の為なの?」
彼はもっともらしい話をすると思います。
「では、私たちの幸せは後回しなのね?」
「でも、現に私やあなたの家族たちも不幸になっているのに、それのどこが幸せなの?アタシの幸せがあなたの幸せではないなら誰にとっての幸せなの?」
「そこに入った結果、あなたも私も笑顔とはほど遠い生活をしているのに?」
「つまり、あなたは、わたし達よりその宗教活動の人たちと付き合う方が楽しいのね?」
「あなたは社会貢献という名の下で、子供の教育費までお金をだまし取られているのにたのしいワケ?」
まぁ、あなたの人生ですから、思い切った選択も大切です。
まず一度離婚することです。
その後の反応をみてダメならそれまででしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下様

早々のご回答ありがとうございます。改めて、自分を客観視することができました。

質問の文章がわかりずらく申し訳ありませんが、今は脱退しているので、結果、夫が家族を選んだことになるのかなと思っております。

宗教を批判してはいけないと思ってはいますが、やはり研修に何十万かかるなど、聞いていましたので、心の部分ではわかりませんが、まずは辞めさせることが出来て良かったと思います。
人生で二度も宗教がらみで揉めることになろうとは....ある意味、夫はとても弱い人なんだと思います。

自分の心の声がはっきりと無理だ!と思った際には、丹下様のアドバイスも参考にさせて頂き時には思いきった選択も視野に入れようと思います。

今はまだその声が聞こえないので、家族がより絆を築いていけるよう私も頑張ります!
ありがとうございました。

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