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彼氏の元カノ

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高校二年生女です。現在付き合って7ヶ月経つ彼氏がいます。同じ学校同い年です。

彼氏には、元カノが一人います。同い年で同じ学校、私とも仲のいい友達です。二ヶ月ほど付き合ってたそうです。

元カノはとても可愛く、彼氏が出来て、別れても、すぐ告白されて彼氏が出来て…という風に、常に彼氏が尽きないほどモテてます。

そんな可愛らしい女の子の後に、付き合った私。少し太くて、顔もそんなに可愛くなくて、正直、自分に自信がありません。それに、凄く嫉妬深いです。だから、いま、元カノのところへ戻ったら…元カノが今付き合っている彼氏と別れてこっちへ来たら…と不安で仕方ありません。
正直、元カノは友達としては仲良くしたいですが、彼氏には視界にもいれてほしくありません。それ位に、敏感に元カノのことを気にしてしまっています。

理由はたくさんあります。私の彼氏にとって初めての彼女であること、初めて体を重ねた相手であること、私の彼氏が振られたこと、一度復縁していること、しばらく元カノに未練があったこと。

彼氏は私のことを愛してくれています。彼氏も嫉妬深いですし、愛情表現もたくさんしてくれます。私も愛しています。でも、だからこそ、不安で怖くてたまらないんです。

彼氏にもこの気持ちは伝えています。
彼氏は、別に元カノはどうでもいいし気にならないけどなあ。と言います。本当でしょうか。
信じきれない自信が凄く情けないです…。

私にも、元彼がいます。ここまで愛して、離れたくない!と思った人は初めてです。

だからこそ、このままじゃ、駄目ですよね。
それに、心から今この恋愛を楽しみたいんです。
どうすれば、この不安を取り除けますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今日は今日で迎える

人間の頭にはリプレイ、リピート機能があります。🔄
それがために過去の記憶や今現実に目の前にないことを相手にします。
ですが、それは頭の中だけの世界。
現実の変化してゆく世界にその彼氏さんの「彼女」という席は一つしかありません。
その席には今はあなたが座っています。
今日は今日で彼氏さんと彼女として会えるのはあなただけです。
あなたは今頭の中でだれと会っているのでしょうか。
頭の中であっている人はいつのどこの誰でしょうか。
あなたが肉眼で見ている世界とは別の空想・ファンタジーの世界に旅立ってしまうことが、今の目の前のリアル彼氏を別物にしたり、誰かと比較して自分を小さく感じさせるものです。
その彼女よりかわいい人もいるでしょう。
ですが、たくさん存在する女性の中でその彼氏はあなたを選んであなたと付き合っているのです。
恋愛の危険性は実際の相手ではなく、あなたの頭の中の誰かさんと一人でやり取りすることです。実際の彼氏さんではない人を頭の中で作ってしまっていませんか。
そっちはこの世に存在しない妄想彼氏さんです。👻
その頭の中の彼氏さんとは別れてください。👦
頭の世界と実際の世界とは別物だということをよくみつめてください。
そうすれば現実だけを相手にして比較のない世界に生きることができるでしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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