回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お久しぶりです
ぴょんこさんおひさしぶりです、前回回答させていただいてから多くの事があられたのは読ませていただいておりました。お盆や明日の施餓鬼会の準備等で最近はほとんどハスノハの回答はしておりませんでしたが、読ませていただいております。あなたのご苦労も気にしております。投稿され多くのお坊さんにアドバイスいただきながら少しでもお心が軽くなればと念じております。
今日、コンサートへ行ってきた。
アマチュアでね、映画音楽専門のオーケストラなの。で、いいホールだったこともあり、全部が生音。スピーカーから出るのは司会者と解説の話だけ。
今まで映画館で聞いていた音楽が、誰かの息遣いとか指や腕の動きで起きている。言うなれば人間の汗が、命が音楽になって響いている。曲の如何に限らず、そのことに感動していた。
どっかのラジオCMで言っていたけど、「プレイヤーが何かを操作する。その瞬間だけ、音楽が存在する」。その音は全体に対してほんの一刹那存在し、あっという間に消えてゆく。リピートボタンはない。早送りも巻き戻しもない。後悔している間は全くない。
何か生の楽器ができるといいなぁ。誰かとの比較の問題じゃなく、「俺、ちょっとウクレレ弾けるんだ」って、誰に何と言われようと(言われなくても)幸せなことなんじゃないかと思う。
質問者からのお礼
憲章さん
おはようございます。
今日、お施餓鬼会ですね。終ったら少しだけホッと一息でしょうか。
たくさんのお坊さん方から、ご回答をいただき、いろいろ考えさせられます。幸せですね、私。
佐藤さん
おはようございます。
何時間か前に、この佐藤さんからのご回答を読んでいましたが今まで、コンサートの情景を想像していました。
音楽が生きていたのですね。楽器だけでは何の音を出すことはできません。でも演奏者の命が響いたのですね。スピーカーからではなく純粋に命の音がホールに響いたのでしょうね。
その場にいたわけではないのに、何故か私まで感動します。
素敵な事を教えていただきました。
有難うございます。