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運とは

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有り難し有り難し 47

今日、ふと思ったのですが
「運」というステータスは人間にはあるのでしょうか?

私の周りには、やっぱり運がいいなぁ~と思う人は何人かいます、抽選や、ゲームのガチャガチャなどでよくいいものが当たる人たちなどです。

私はどちらかといえば運は悪い方でどちらかといえばタイミングが悪い人間です。

本で読んだのですが、人生において幸と不幸は結局は同じぐらいとありました、しかし本当にそうだとは思えません。

こういうものはタイミング、また気持ちの問題なのでしょうか?

また「運」についてどう思われますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

運は縛りの産物

一人一人に設定されたパラメーターとしての運というよりは、立ち位置のようなものなのかなと思っています。

家のまわりを掃除してみましょう。毎日掃除していると、場所によって木の葉や塵芥が溜まりやすい場所とそうでない場所があることに気付くでしょう。いわゆる『風の吹き溜まり』というやつです。
そんな感じで立ち位置の違いというものはあると思います。 タイミングもそうですし、お土地柄、遺伝的なもの、考え方の癖、人間関係、ありとあらゆるシーンで立ち位置の違いがあるでしょう。

その違いがある中で、気持ちの問題というのも事実でしょう。例えばウンコという文字を見ただけで「お坊さんが使うのに相応しくない!汚らわしい!」と毛嫌いする人は少なくありません。でもインドの方ではウンコをピザみたいに丸くして壁に貼り付け、乾燥させて燃料を作ります。生活必需品です。ウンコなめんなよ!ピザみたいなだけになめんなよ!(←上げてんだか下げてんだか分からない奴)

そうしてみると風の吹き溜まりに木の葉が集まるのを、悪いこととするか良いこととするかはその人の気持ち次第であり、もっと広い意味で立ち位置次第でもあります。

実際、お釈迦さまだったらきっとこうおっしゃると思います。「ガチャなんか当たらん方がいいよ。下手に当たったらそのゲーム辞めるのもったいなくなるでしょ?いつかそのガチャにかけた課金額とか時間とか労力とかもったいなかったなぁって気付く時が来るんだよ?執着は少ない方が楽に生きられるんだから、ガチャが当たりまくる方が不運だよ。」と。

そしてお釈迦さまの教えの真髄は「縛りプレイを止めちゃいなよ」ということです。人生における縛りプレイ。自分ルール。世間ルール。例えば強くないと恥ずかしい、勝てないと面白くないという縛りすら棄ててしまえば、もはやガチャ運の良し悪しなんか無くなっちゃいます。そこに苦の湧く余地の無い、心の自由があるんです。
人生だって同じですよ?縛りを棄てる難易度は跳ね上がりますけどね。

「人生において幸と不幸は結局は同じぐらい」というのはスピリチュアルな方々が言ってることでしょう?私はああいうの信仰してませんので他人事です。
仏属性とは、運が良くても悪くても平気でいられる自分になる道です。仏の修行をしてみません?

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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素晴らしい良縁や良運に恵まれて

拝読させて頂きました。
あなたがその様にお考えなさったりお感じなさるのは確かにもっともかもしれませんよね。
人の生活や人生を見ると羨ましいと感じたり、逆に自分はなんて恵まれてないんだ、と思ってしまったりするでしょうね。
人と比較することは本来あまり意味のないこととはいえ気になって比較してしまいますね。
あなたのお年頃ですと余計に人の姿や生き方は気になるものです。
運は確かにあるでしょうね。運も実力の内と言われますから目には見えなくてもその様なめぐり合わせはついて回っていますね。
ただやはりその様な良縁や良運は自分で引き寄せることはできるとも思います。
人と接する時の心がけや自分が善なる心がけや行いを人が見ていなくてもする事は良縁や良運を引き寄せるもとになってきます。
どこかで必ず誰かがあなたの行動を見ているものです。
それによって善い行いをしていけば必ずその果報があなたに訪れることでしょう。
そして悪い心や行いをすれば必ず悪い縁がつながっていき、自分を悪の道へと引きずり込まれることでしょう。
悪い縁には必ず悪い縁がつながっていきますからね。
毎日はずっとつながっていますからね。

あなたがこれからの人生善なる心と行いを進んで成していかれて素晴らしい良縁や良運に恵まれて心から豊かに幸せに生き抜いて頂きます様にと心から神仏にお祈りさせて頂きます。
どうか素直なお気持ちで善き道を歩んでいってくださいね。
あなたの素敵な未来を祝福させて頂きますね。自信を持って歩んで行って下さいね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

Asuma様
大磁様

回答ありがとうございます。
仏の道というのはとても興味深いです
ですがまだいいかなと思います。

もう少し楽になろうと思います

「運・運命」問答一覧

家族の怪我が続く

以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

有り難し有り難し 5
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運命とは

私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ