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後悔

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有り難し有り難し 19

最近大好きだった祖母がなくなりました。私のことを一番見ていてくれる存在で、一番愛してくれる存在でした。お見舞いにもあまりいけず、死に目にも立ち会うことができませんでした。もし、バイトを休んでもっと見舞いにいっていたら、もし1日でも病院に泊まって一緒に過ごせたらと後悔しかでてきません。伝えたかった言葉も伝えられず、1人で寂しく逝かせてしまったことにとても悔やんでいます。いくら後悔しても祖母はいなくて苦しいです。この気持ちを受け入れるためには、どうしたらいいのでしょうか??


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

合掌

さぞお寂しいことと拝察したします。

人は亡くなって仏さんに成られます。仏さんに成ると書いて「成仏」という言葉になります。仏さんとは、教えを説く存在のこと。お祖母さまは、仏さんと成り、身をもってあなたに教えてくださってることがあるんです。

それは、悲しい事実かとおもいますが、「死」という教えです。人は必ず死ぬということです。こう言うと、「そんなん当たり前やん」ておっしゃるかもしれませんが、日常生活されてる中で、自分の死ということをどれだけ考えますか? あまりない、あるいはあまり考えたくない、棚の上に上げっぱなしにしておきたいことちゃいますか?

だから、仏さんは「そうでないんですよ」と身をもって教えてくださってあるんです。一寸先は闇、私たちは一寸先に死ぬかもしれない「今」を生かされてあるんです。明日も明後日もフツーにやってくると思っている、そんなことすら当然すぎて考えもしない私たちに、「今をしっかり、いのち大事に生きなはれ」と教え、案じてくださってるんですよ。

だから、供養するということは、亡き方に何かしてあげるていうことよりも、その教えをしっかりいただき実践する、すなわち、あなたがいのち大事に生きる、その生き方そのものなんですよ。

亡き方を案じる私が、亡き方から常に案じられています。仏さんと成られたお祖母さまを案じさせる生き方をしていただきたい、そう思います。

合掌

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真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いで...
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ちょっとずつ前向きに歩む

浄土宗の立場で書かせていただきます。

ご心中お察しいたします。大切な方を失った悲嘆というものは、そう簡単に消えてしまうものではございません。

先日お檀家様の17回忌法要(大切な方が亡くなってから16年)をした後、その方は「あっという間でした。」という風におっしゃいました。きっと何年経ってもその悲嘆を忘れることはないでしょう。

「親孝行 したい時には 親いない」という言葉がございます。私も父を早くに亡くし、もっとああすればよかった、こうすればよかったと、質問者様のように、後悔をたくさんしました。しかし、父はもう阿弥陀様の極楽浄土に往生したので、いまこの世界で親孝行することはできません。

では、今何ができるか。それが「ご供養」でございます。お祖母様のことを思って、一生懸命ご供養してください。お仏壇やお墓の前で、しっかりお気持ちを伝えてください。必ず届きます。

それともう一つ大切なことがございます。それは質問者様自身が明るく穏やかな毎日を歩むことです。質問者様が大好きだったお祖母様です。同じかそれ以上に、お祖母様もお孫様のことを大好きだったに違いありません。大好きなお孫様のことをお浄土から見ていて、お孫様が悲しい思いをされていたら、きっとお祖母様も悲しむと思います。

すぐにというのは難しいです。ちょっとずつ、ちょっとずつでいいので前向きに歩んで行ってください。それがお祖母様への何よりの供養になるのではないでしょうか。  合掌

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
生き方なんて考えたことがなかったので、すごくいい言葉を教えていただきました。

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