弟の死を未だに受け入れられないです。
2022年1月に、4つ下の弟を自死で亡くしました。
亡くなってから気づくもので、同じ年の8月ごろから自ら死を選ぼうとしていたようでヘリウムガスを購入していました。
私は結婚して家を出ているので、祖父母と両親と5人暮らしです。普通の家庭で、何不自由なく育ったと私自身は思っています。
弟とは仲が良く、結婚して家を出てからも二人で飲みに行ったり両親を連れて出掛けたり、私の家族とみんなで旅行に行ったりしていました。なぜ死を選ぶのかが、正直わからない程です。
弟が亡くなってから、弟の友人に聞いたのですが中学生ごろから「そんなに、長生きはしたくない。」大人になってからも、「どうせいつか人は死ぬんだから自分で自分が死ぬ年齢は決めたい。」などといっていたようです。今思い返せば、弟が20歳になった時に私と母に「20歳まで生きるはずじゃなかったんだけどなー。笑」と言ってきたことがあります。
未だに、弟がいないという現実を受け入れたくないので考えないようにしている自分がいて時間が経てば経つほど苦しいです。
自死を選んで後悔してないのか。気になって気になって絶対にわからないのに答えがほしいです。
出棺のときに、霊柩車が実家に向かう途中にエンジントラブルで3.40分遅れたり
告別式で拝んで頂いているときに私の主人の数珠が突然弾けて数珠がすごい勢いで散らばったりハプニング続きで、葬儀会社の方もこんなこと初めてだと驚いていました。その出来事がなおさら、やっぱり死ななければよかったと思って後悔しているのではないかと思えてなりません。
何か、いいお話が聞ければと思ってこちらに書きました。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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受け止められない死の現実もある
Mika. 様 相談ありがとうございます。
まずは、弟様のこと、ご愁傷様でございます。お悔やみ申し上げますとともに、ご冥福をご祈念申し上げます。合掌礼拝。
はじめまして。よろしくお願いいたします。
身近な親しい人の突然の死は、なかなか受け止められるものではありませんね。
悲しみが癒える期間は人それぞれで、時間が長いとか短いとかで計れないものだと思います。
そして、受け止められない死の現実もあると思うことも大切です。
これは簡単にあきらめて、死と向き合わず、無視することではなく、受け止めるのは容易ではないが、辛い現実を見つめつつ、今、自分が出来ることに取り組み主体的に生きていく中で、明らかにしていくという態度で臨むということです。
まずはご自分の人生に思いやりを向けて、ご家族と共にどのようにこれから悲しみを共感しながら過ごしていくのかに心を配り、また、弟様にどのように供養を続け伝えていくのかを思ってみてください。
また、さまざまなグリーフのワークがありますので、出来そうなことから始めてみてください。今日一日過ぎれば哀しみの日が一日減る。あるいは、解らないこと、出来なかったことではなく、共有できたこと、解ったこと、出来たことに意識を向ける。そして弟様も含めて親しい人すべてを思いやるような感謝の日記を数行程度から始めてみるなど、試してみてください。
弟様は、今度は仏様と一緒にいらっしゃって、我々の方を向いて、合掌して、感謝の言葉を述べていると思います。私たちもそれに応えるように、お経を唱えたり、お供え物をしたりして、供養を届けることで、これまでの繋がり、絆がしっかりと結ばれたままで、安心していらっしゃるのではないかなと、私は思います。
参考にしてください。再拝
追伸:お礼メッセージありがとうございました。お墓参りも、仏壇に手を合わせることも大事なことですね。幼い時のその記憶はやがて信仰が相続され、繋がっていくものと思います。弟様もそれを見ているでしょう。合掌礼
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
聞いてもらうだけでも、気持ちが救われます。
お墓が、自宅に近いため月命日やふと足が向いたときにお墓参りをしています。
死を受け入れたくないのに、なぜかお墓に行かなきゃという気持ちになります。
私の子供たちは、実家に行くと必ず最初にお線香を立て手を合わせてくれます。帰る時も、何も言わずともお仏壇の前に行きまたね!と言ってから帰ります。
弟もそれを見てくれているかなーと思います。これからも、自分なりの供養を考えながら過ごしていこうと思います。ありがとうございました!