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日本人の性欲について

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わたしは、世の中の大人はルール規則なんだかんだと言っていますが、不倫や浮気、犯罪で溢れています。どう思いますか?
あと、不倫等は芸能界で暴かれると人じゃないような扱いをされますが、方での裁きはないことを、なぜ人々はダメなこととすのでしょうか?
そんなにダメなことなら法律かなんかで決めればいいと思いませんか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

日本人のみんな同じであれ主義

出る杭は打たれる 出過ぎた杭は打たれない 打ちやすい杭だけ打たれる
ご意見ごもっともです。
簡単に言うとみんな「愛されたい」のでしょう。
今のパートナーと十分な愛情のガソリンを供給しあえる関係でなくなると、よそ、ほかの異性に愛を求めるのでしょう。
同性やペットの場合もあるでしょうが。
不思議なことに芸能界の大物さんはあまり叩かれないってズルいですよね。
マスコミでもいじめやすい人がいるんだと思います。
叩きやすい人。
マスコミの不倫報道はいじめの心理と同じに感じます。
というより、そもそもプライバシーも何もありません。
「一線を超えたか」どうかを執拗に明かそうとしたり、ちょっと品がないですよね。
根底には「やっかみ」があるのだと思います。
それが自分の中に見出せる人は関わらないと思います。
あくまでその人たちのことですから、その人たちの自己責任だと思います。
性欲といってもいいでしょうし、愛されたい欲といってもいいでしょう。
人間には渇愛があるのです。
そこが渇いて満たされたいと思うものの、今の状況、相手ではみたされない。
どうしても我欲・自己愛が優先されてしまう人は、相手の家庭も踏みにじってまで、危険な道を超えてしまう。
百歩譲って、人間には万人に共通して「渇愛」の心があるということを、ご自身の中にも含めてみてください。ゆるす、ゆるされる、ゆるされない、はそのあとの問題です。
人間もセーブツですからセーヨクもアイヨクもガヨクもある。
だからと言って、それは言い訳になりません。
そういう欲や情愛深い生物であるからこそ、理性、倫理、道徳、宗教心という自制心も人間はそなえるべきなのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

人として当たり前なことが、当たり前でなかった

再犯率という言葉があります。罪を犯して逮捕され、刑罰を受けて社会に戻り、それからまた罪を犯してしまう人の割合のことです。

私たちは何となく犯罪者には厳罰で教訓を与えてやったほうが、再犯率が減るんじゃないかと思いがちです。でも実際は逆なんだそうです。実際は人として温かく接してあげることで再犯率が減り、厳罰化すると逆に治安が悪くなります。

なぜでしょうか?

答えは簡単。『幼少時に虐待されたり、育児放棄のような扱いを受け、人として当たり前の愛情に恵まれなかった人が犯罪に走ることが多い』からです。それが心の闇の入口だった人に、さらに社会全体で寄ってたかって冷たくしても心の闇がますます深くなるだけというわけです。

お坊さんは刑務所の慰問で服役者さん達とスポーツをすることがあります。すると刑務所の刑務官さんから「お坊さんがそういうことをしてくれると服役者の問題行動が減るので、ぜひもっと来て欲しい」と言われます。

不倫や浮気と言いますか、ストレスや自己肯定感の希薄さの穴埋めから性欲に走ることも、幼少期の親の愛情不足からくると言われています。

いずれもあくまで傾向の話であって全部が全部というわけではありませんよ。
この辺の話は大学の法学かな?心理学かな?まぁその辺に行けばもっとディープに面白く学べるでしょう。私のは聞きかじりです。
なお、セックスをともなう不倫は民法違反です。

最後に仏教的なことを書いておけば、ルールって、人間が作ったものなんです。ルールありきの人間ではなく、ルールの無い状態で人間が生まれてきて、大人になる過程でルールを学びます。
だからお釈迦さまは不倫や盗み等を『愚か』と呼び、悪いことをしないことを『智慧』(ちえ)と呼びました。ついでに言うと不倫した芸能人を社会的に抹殺してやろうと悪口言いまくるのも不倫と同じく『愚か』です。悪口は悪口ですからね。

人は案外に善悪というものが分からないものなんですよ。ルールは生まれながらに当たり前ではない。だから私たちはまず自分が学ぶ姿勢を持ち、そして如何に人々に広めるかということをもっと考えないといけないんです。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

連日の報道を見ると、あなたの意見ももっともだと思います。私も含め、みんな大人とはいえ未熟なのです。
法律とは最低限守らなければならない決まり事であって、法律を犯さなければ何をしてもいいという事ではないと、弁護士の中坊公平さんが以前に言われていました。私もその通りだと思いました。たとえ法律で決められてなくても守るべき事はたくさんあると思います。たとえ法律で決められてなくても守ることができるのが正しい人間なのだと思います。
ところで、不倫については仏教では戒で禁止されていますから、不倫しないように努力するのがいいでしょう。なぜなら、不倫によって様々な苦しみが生まれるし、仏道修行の妨げになるからです。
とはいっても過ちを犯してしまうのも人間の性であります。過ちを犯したら、反省し同じ過ちを犯さないように努力することで、より人間として成長するのだと思います。
報道されている方々がより人間として成長することを願っています。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

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