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どうすれば自分に自信を持てるようになりますか

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有り難し有り難し 23

はじめまして。
私は中高校で6年間女子校を送ってきました。そのせいか彼氏が人生で一度もできたことがありません。
大学生になって周りは皆彼氏、彼女がいた経験があり、正直話についていけません。
またいなかったことを友達だけでなく親にも馬鹿にされて、正直最初は考えないように笑って誤魔化していましたが、今になってもできないので辛いです。
きっと私に問題があるのだと思いますが、、どうすればよいでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

外のお飾りは自信にならない

日本の超エリートさんの集まる松下政経塾の塾生さんと以前お話したことがあります。
ある塾生さんが「自分にはコンプレックスがある」と。
「え…?皆さんは誰もがうらやむ超エリートさんじゃないですか。云々」
「いいえ。みんなコンプレックスを持っています。」と。
とても深い言葉に感じました。
その方は自分自身に深く向き合っている勇気のある方でした。
私のようなバカだ高校アホだ大学のマヌケ道場出身の人間はなんのキャリアもありまへん。
政経塾は東大京大早稲田慶応出ても入れない年間数名の難関塾。
そこに入ったとしても自分自身の不完全さ、人間の不完全さを知っている。そこに強さを感じました。
「出来上がる」ことは誰にでもできるのです。
その気になれば有頂天にもなれる。自分はデキる、と思えることでしょう。
ですが、もっと大切なのは出来上がりのない心、永遠に精神を向上させていこうと進み続けていく精神であろうと思います。仏教ではこれを菩提心ともいいます。
菩提心に終わりはありませんが、菩提心がある心は永遠に向上し続けていくのです。自信を持つというのは、小さな通過点、パッセージにすぎないのです。
思い込み、思い上がり、カン違い、調子に乗ることくらいはちょっとした技法で誰でもいくらでも自信を持つことが出来ます。
「アファメーション」「プラス言葉」「前向き思考」などで自分を高めれば一時的な錯覚自身は身につくものです。
ですが、それはまやかしの自信。
試しに、自分の体のどこかや自分のスキルに焦点をあてて、そこを高評価し続ければそれでも小さな自信につながるのです。
私が仮に「俺はアゴの先っちょの形、超、イイ。超サイコー。」一晩と念じ続ければ翌朝にはアゴが輝いているように感じるでしょう。
「フフフ、俺のあごの先っちょ、チョー強いゼ。」
それも悲しいことです。
真の自身は内面から湧き出てくるものです。
自分はダメだ、だめだと否定的なことを思うことさえなければ劣等感も、自身の無さもすぐに無くなります。
無駄な謙遜、否定精神、悲観的精神、自己批判精神が悪く働いてしまうのです。
心の中においてマイナスの思考ペダルをこぐことをやめましょう。
まずは、心を制止させることです。
能動的な動きを一度やめてみること。それが坐禅、禅定です。
心が黙すれば、自分をDISることも無くなります。
菩提心と禅定。これはお勧めです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

大丈夫ですよ!

拝読させて頂きました。
大丈夫ですよ!きっとあなたにはこれから素晴らしい方々との出会いが待っています。
人として尊敬できる素晴らしい方々ともこれから巡り会いますでしょうし、我欲の塊のような愚か者にも沢山出会うことでしょう。
どちらもあなた自身を成長させてくれる糧にもなりますし、もしかしたら被害を受けることにも遭遇することにもなるでしょう。
けれどもその中であなたに対して誠実にお付き合いなさってくださる方々も必ず沢山いらっしゃいます。
これから沢山の方々との交流を深めていかれてあなたにとって本当に大切な方とお互いを理解しあい信頼関係を深めていかれて共に助け合いながら生きていかれるような方と共に歩んでいってくださいね。

私はあなたがそのような素晴らしい人と出会うことを心よりお祈りさせて頂きます。

大丈夫です!必ず素晴らしい出会いが訪れますからね。
安心してしっかりとこれから歩んでいってくださいね!

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
自分に自信を持つことをすぐに実行するのは少し時間がかかりそうですが、少しずつ前に進めるよう努力していきたいと存じます。
お忙しいところありがとうございました!

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