街のお地蔵さん
街のお地蔵さんの拝み方を教えてください。
いつもは、
二つ立ててある使いかけの蝋燭の1本に火をつけ、その火を使って2本に折ったお線香を火をつけ、蝋燭はすぐに消す
→今日も見守ってくださってありがとうございますとお礼を言って悩みを聞いてもらう
の順序で拝んでいましたが、
このやり方では失礼がありますか?
ゴミ捨て場の目の前なので火事にならないようにと思ってそうしていました。
そもそも、いわれも分からない街のお地蔵さんを拝むのは良くないのでしょうか?
教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お地蔵さんとのよきご縁を
お地蔵様は本来はすでに如来となられご自身の仏さまのお国を創られそこでお教えを説くことも出来るのにあえて私達の世界におられ苦しむ私達を、更には地獄に参り苦しむ人々を救い続けることを誓われた菩薩さまです。街の辻や集落の入り口に祭られていることが多いのはそこで魔ものが入って来ることがないように私達をお守りしてくださるからであり、私達を見守られてくださっているからです。ですからそのお地蔵様に手を合わせ、お礼を言われ悩みをお話しされるのはまさにお地蔵様のその想いに応えられることかと思います。また火事にならないようにとのその配慮も有り難いことかと思います。どうぞこれからも地蔵菩薩様とのよきご縁を重ねていただきたいです。私も寺の入り口の六地蔵様だけでなく道ばたのお地蔵様によく手を合わせます。南無地蔵菩薩尊
三つ具足(灯明、花、香)
仏壇のお供えで、三具足(三つの装備)と言う場合は、蝋燭1、花1、真ん中に線香、のことです。
五具足と言う場合は、蝋燭2、花2、真ん中に線香、のことです。
ですから、花をいけて、蝋燭と線香の両方に火をつけた状態で拝むのが、正式なフルラインナップでしょうね。
しかし、火災予防という理由で蝋燭に火を灯す時間を最小限にしたい、という事情があるのですから、
お地蔵様はきっと許してくださると、私は思います。
仏・菩薩を拝めば拝むほど、仏教との縁は深まります。
それは、この世でも来世でも幸せを強化することにつながります。
これからもお地蔵様にお参りいただきたいと思います。
できれば、お地蔵様の前で、自分の幸せと、すべての生きとし生けるものの幸せも願っていただきたいです。
たとえば
「生きとし生けるものが幸せでありますように。
南無地蔵大菩薩。」
質問者からのお礼
憲章様、願誉浄史様、ご回答頂きありがとうございます。
特に信心深くもない私が、毎日手を合わせ、
感謝することで、自分を見つめ直す時間と
その日1日のモヤモヤとした嫌な感情をリセットできる気がしていました。
言葉が適切ではないですが、自分の嫌な感情を振り払うためにお地蔵様を利用しているだけな気がして、
せめて失礼のない拝み方が知りたく、今回質問させて頂きましたが、質問の内容以上の回答を頂いて心から感謝しています。
ありがとうございました。