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街のお地蔵さん

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街のお地蔵さんの拝み方を教えてください。

いつもは、
二つ立ててある使いかけの蝋燭の1本に火をつけ、その火を使って2本に折ったお線香を火をつけ、蝋燭はすぐに消す
→今日も見守ってくださってありがとうございますとお礼を言って悩みを聞いてもらう

の順序で拝んでいましたが、
このやり方では失礼がありますか?

ゴミ捨て場の目の前なので火事にならないようにと思ってそうしていました。

そもそも、いわれも分からない街のお地蔵さんを拝むのは良くないのでしょうか?
教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お地蔵さんとのよきご縁を

お地蔵様は本来はすでに如来となられご自身の仏さまのお国を創られそこでお教えを説くことも出来るのにあえて私達の世界におられ苦しむ私達を、更には地獄に参り苦しむ人々を救い続けることを誓われた菩薩さまです。街の辻や集落の入り口に祭られていることが多いのはそこで魔ものが入って来ることがないように私達をお守りしてくださるからであり、私達を見守られてくださっているからです。ですからそのお地蔵様に手を合わせ、お礼を言われ悩みをお話しされるのはまさにお地蔵様のその想いに応えられることかと思います。また火事にならないようにとのその配慮も有り難いことかと思います。どうぞこれからも地蔵菩薩様とのよきご縁を重ねていただきたいです。私も寺の入り口の六地蔵様だけでなく道ばたのお地蔵様によく手を合わせます。南無地蔵菩薩尊

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長くサラリーマンをしていて、16年前先代の跡を継ぎました。住職となって改め...
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三つ具足(灯明、花、香)

仏壇のお供えで、三具足(三つの装備)と言う場合は、蝋燭1、花1、真ん中に線香、のことです。
五具足と言う場合は、蝋燭2、花2、真ん中に線香、のことです。

ですから、花をいけて、蝋燭と線香の両方に火をつけた状態で拝むのが、正式なフルラインナップでしょうね。

しかし、火災予防という理由で蝋燭に火を灯す時間を最小限にしたい、という事情があるのですから、
お地蔵様はきっと許してくださると、私は思います。

仏・菩薩を拝めば拝むほど、仏教との縁は深まります。
それは、この世でも来世でも幸せを強化することにつながります。
これからもお地蔵様にお参りいただきたいと思います。
できれば、お地蔵様の前で、自分の幸せと、すべての生きとし生けるものの幸せも願っていただきたいです。

たとえば
「生きとし生けるものが幸せでありますように。
南無地蔵大菩薩。」

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

憲章様、願誉浄史様、ご回答頂きありがとうございます。

特に信心深くもない私が、毎日手を合わせ、
感謝することで、自分を見つめ直す時間と
その日1日のモヤモヤとした嫌な感情をリセットできる気がしていました。

言葉が適切ではないですが、自分の嫌な感情を振り払うためにお地蔵様を利用しているだけな気がして、
せめて失礼のない拝み方が知りたく、今回質問させて頂きましたが、質問の内容以上の回答を頂いて心から感謝しています。

ありがとうございました。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ