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やっぱり、おかしいですか?

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有り難し有り難し 29

現在27歳なのですが、一度も異性から好意を持たれたことがありません。
告白された経験が、一度もないのです。
学生時代はずっと共学でした。

女性としての魅力が欠けていることは、自分でも理解しています。
ただ、この年齢で誰からも好意を持たれたことがないというのは、少数といいますか…私の周りには一人もいません。
気にしないようにはしていたのですが、先日同級生たちと集まった際この話になり、ずっと考え込んでいます。

合コンに参加しても、上手く行くのは一緒に参加した子です。
婚活イベントに参加しても、興味を持たれず終わってしまいます。
出来るだけ笑顔で、話をよく聞いて、相手の興味がありそうな話を振って…でも、私がやっても、あまり意味がない…?

会社でも、私がすれば怒られることも、美人な先輩がすれば何も言われません。
見た目などで、始めから全て決まっているのですよね…。

私はどうすればいいんでしょうか…?
これから婚活に力を入れないといけないのに、誰にも会いたいと思えないのです。
かといってこのままいれば、ずっとひとりです。
やっぱり、寂しいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分史上一番異性ウケするビジュアルを与えてくれる魔法使い

私は個人的にですが、何かの才能にチョー秀でている女性はそのチョー秀でていることが、その人の頭部の顔よりもその人の全身・人生としての「顔」なので、その人がいわゆる美人でなくても「美人度」を高く感じます。
そういう人っていると思います。
お笑い芸人だって、チョー、モテます。
今、時代は逆に見た目9割な世の中であればこそ、その時代のニーズや波に乗ることも大事です。同じものでも、インスタでは「より一層きれいに」『映え』るように映します。
そういうことは、努力次第でできるものです。
私が女性におススメするのは、イケてる男性美容師に魔法をかけてもらうといいですよ、とお勧めしています。女性が女性を美人にしようとしても、男性ウケはゼロなのです。
通う美容院、美容師を変えることです。
思い切ってカリスマ美容師にウン万つぎ込んででも、一度は自分のパーツで自分史上、最高の自分に仕上げてもらうことです。評価は男性から見てもらって、どうか、なのです。
「かわいい」は作れます。
私だったらこう言います。「自分はブスだと思っています。ですが、先生のお力で個別にチップ払いますけん、私のパーツで最高に可愛くみられるようにしてください」と。
つまり、私のようなブサメンでも、一流のメイク師にかかれば、そこそこ見れるようにはなるものです。私はメイクはしませんが、女性は自分流のメイクでは限界があります。
高校時代、同級生で美容院の息子さんがいました。彼が私のヘアスタイルをチョットいじってくれたら女子から評価が高まりました。
「自分史上、一番異性受けするビジュアル」

これがキーワードです。
自分でイケてると思っているものはイケてると思っていてもいけてないから異性も寄ってこないのです。グサリ

「美女と野獣」という映画がありますが、あれは悲劇です。
結局、やっぱりイケメンと美女こそすべてかい、というツッコミが入ります。
魔法がとけて野獣が私のようなブサイク姿で現れればブサイクな私どもにも希望の光を見出せる話になってより共感度が高まるのでしょうが。はい、やっぱり、イケメンですよ。
かといって映画のタイトルが「美女とイケメン」だったら、誰も救われません。
あなたが目指すべきは、自分史上、一番異性ウケするビジュアルです。あとは、あなたの才能を評価してくれる相手を探せばよいのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元様
お言葉をありがとうございます。
やっぱり何かに夢中になっている人は、魅力的に見えますよね。
今まで美容院に行くときには、女性の方ばかりを指名していました…。
次からは思い切って男性にお願いしてみようかな…でも、落ち着かないんですよね。
今のままでは駄目なので、何とか変われるようにしないといけませんね。

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