教育者故の不安との付き合い方
当方教員をしております。
元来人の行動や視線に敏感で、そこから不安に駆られることが多々あります。
特に多いのは比較的現実味のある(想像が容易である)嫌な未来のビジョン。できれば起きて欲しくないことばかり意識してしまい、それもあらゆるパターンを想定するものなので、一つの不安が消えても際限なく不安が出現してきます。
特に最近は生徒対応の不安が多数を占めています。ルールやマナーにルーズな生徒が居り、どのように対応すべきか...といった具合です。
このルールを破ったら...あんな行動をとったら...あらゆる想定が思い浮かんでキリがありません。
一方でこのような性格を治したいと考え、こうして仏教の世界などに触れながら生き方を模索しています。
少しずつ他人の目線を気にしない性格が育ってきたかなといった感じです。
ですがその中でジレンマに陥りました。
「人は思い通りにならない。」
あちこちで説かれました。
確かに生徒がルールを守るか、マナーに準じた行動を取るか、それは最終的に生徒次第です。私は生徒の行動に期待をし、そして裏切られたことから負のスパイラルに陥ったのだとわかりました。
私ができることは適切な指導をすることのみ。
しかし私の職務は生徒の将来を担うものでもあります。
私がどっしりと構え、宜しくない行動にも「人のやること」と割り切ってしまうことは可能です。ですがそれは職務上は無責任な態度になってしまいます。
やはりいけないことは正す、それが私の職務です。そうなると生徒の行動に期待をすることになり、振り出しに戻ります。
そうでなくとも、生徒の成績向上はやはり教育者として目指すところ、となるとこれも生徒への期待になります。
こうした思いの中で最近はまた漠然とした不安感が渦巻いている状態です。
教育者というのは、どうしようもない他人の行動とずっと向き合っていかねばならないのでしょうか。
この仕事は好きです。だからこそ辛いです。
正直言いますと、なまじ中途半端な知識を得ようとしたがために多くの不安が錯綜して網の目のようになっております。自分でも一番の悩みが上記のものなのか、よくわからない状態です。何かもっと根本の原因がありそうな気もします...
まとまりが悪く申し訳ございませんが、何卒宜しくお願い致します。
・他人からの評価 ・プライド ・それらを受け止め考えてしまい不安になる心
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
安心して不安がってください。
どーも、本職坊主の同業者です。
ひとつアドバイスさせていただきますね。
【勇気を持って何もしない】
成績不振の生徒、無気力な生徒、クソ生意気な生徒、、、コイツらはじつは全部成長段階です。我々が思い浮かべる完成型にはほど遠いかもしれません。なんでこんなことがわからないんだ、なんでこんな簡単なことができないんだとも思います。でも、大人と比べて経験値の少ない彼らは実際に失敗しなくては理解できない事も沢山あります。実際に痛い目に合わないと分からないことも結構あります。見ていてヤキモキしますね、イライラしますね。でも、全部彼らの大事な経験値になっていきます。命の危険や触法にならない程度のところで、なんでも体験させてあげましょう。先公ごときが下手に手を出して、彼らの学びの邪魔をしてはいけません。
我々の仕事は、彼らが安心して失敗できるよう、また安心して不安がれるよう、より万全に準備を整えておく事が肝要だと思います。
仏教の素晴らしい智慧は、必ずあなたの役に立ちますし、ひいては生徒の為になります。それにしても、教員の職務に仏教を取り組もうとは、なんとまぁお目が高いw
ムリしない事
拝読させて頂きました。
毎日職務に悪戦苦闘と試行錯誤を繰り返しておられることと思います。
あなたの思う通りにお仕事頑張って頂きたいと切に思います。
私もそうですし、あなたもそして生徒たち子供達も皆それぞれに成長過程にあって未熟者なのです。
ムリに片意地張る必要はありません。
今あなたができる、そして言える伝えられることを誠心誠意伝えて行ければいいのではないでしょうか?
大人も子供もお互い様平等ですから、ちょっと先に生まれて経験ある者が後から生まれてきた者に正しい生き方や道をアドバイスできることをしていく事かと思います。
私もあなたも子供達もこれから様々な経験や出会いを通して成長させて頂くのですからね。
無理のないところで頑張って下さいね。
あなたも子供達も共に健やかに充実した毎日を送って下さいます様心よりご祈念申し上げます。
質問者からのお礼
転落院さま
ご回答ありがとうございます。
何かをしてやらねばという思いに駆られていた私にとっては天啓です。
私は大学受験生を相手しており、内面が私から見ても尊敬に値するような生徒も多くいます。
そんな環境で、成長しきっていない生徒に対して無意識の期待を抱いていたようです。
何もしないという勇気を持ってみます。
Kousyo Kuuyo Azumaさま
ご回答ありがとうございます。
教える者、という立場にあって無意識に傲慢さが出ていたのだと痛感しました。
私も未熟者で、にもかかわらず多くを背負い過ぎていたのかもしれません。
成長途上で完璧を求めることはせず、まずは自分に期待し過ぎないようにしてみます。